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MICHINARIのボサノヴァと私
第三回 ボサノヴァの言葉



 西洋の古代、歌謡の誕生はいかなるものだったか。ギリシャの吟遊詩人を想像してみる。まず詩なり、物語なり、歌われるテキスト、つまり伝えたい言葉が先にあって、それに「節(ふし)」、つまり音の抑揚を付けてリズミカルに語り聞かせるくらいのところから始まったろうか。そう、「歌」である前に「語り」であったはずだ。
 であるなら、この「節」は「言葉」に従属していたはずだ。吟遊詩人は、その詩や物語の内容や感情を、聴き手に、より効果的に伝達するための補助的手段として「節」を使っていただろう。「節」がどんなものかは日本の三味線音楽「新内節」などを思い浮かべればわかりやすい。
 その後、この言葉と未分化の「節」なるものが、はっきり独立して感じられる「旋律」に成長し、さらに「和声」という色彩豊かな特殊効果も加わり、果たして西洋の歌は、言葉、旋律、和声、リズムの四つの要素からなる豪華で複雑な構築物に育ってしまった。この四つの要素のうち後者三つの複合体が「音楽」というわけだ。単純に考えても、多勢に無勢だ。こうなれば詩より音楽のほうが当然、いばってくる。かくして歌の主人であった「詩」は「詞」へと格下げされ、一方、かつて「詩」の補助的手段でに過ぎなかった「節」は、「音楽」へと進化、いまや従属を逃れ、純粋な器楽として自由な発展をとげてゆく・・ずいぶん荒っぽい推察だが、さほど間違ってもいないだろう。昔は民族音楽学者になろうと思っていたこともあるのだ。なんてね。それはもう二十年も前のこと。

 さて、我らがボサノヴァ。ボサノヴァは、音楽を聞かせるものか、言葉を聞かせるものか?僕に言わせれば、はっきり、「音楽」である。例えばジョビンの「太陽の道」という曲がある。曲がすでに朝、光、風、水、そういうものを感じさせるではないか。まるで印象派絵画だ。詞の必要を感じさせない。詞を書いたドローリスには申し訳ないが、曲自体がすでに完成された風景画だ。ここでの作詞は、忠実にその風景の印象を言葉にうつし換え、旋律の上に適切に「当てはめる」作業になる。そしてこの詞に添えられる愛の物語は、その風景の繊細で新鮮な印象を壊さない程度に、ささやかなものに抑えられねばならない。ボサノヴァにおいて言葉はもはや、その音楽の「一部分」として機能していると言ってもいい。西洋音楽の歌謡史上、20世紀半ば、海を隔てた遠いここブラジルに至って「言葉」と「節」の主従関係は完全に逆転した、と言える。
 また、こう考えることもできる。「言葉」の束縛から逃れて発展したところの器楽が、ふたたび言葉のもとへ戻って来た姿、それがボサノヴァ。実際、ボサノヴァに限らずブラジル歌謡の旋律の特徴である半音の進行は、器楽旋律の影響無しには考えにくい。ボサノヴァは器楽的歌謡のメッカであるブラジルの、「超」器楽的歌謡!だ。もっと言ってしまえば、器楽曲を、「歌いたくて」詞をつけた、それがボサノヴァ作品だ。だから詞だけ読んで面白いわけがない・・はずなんだがな、いいじゃないか、この「太陽の道」。


   「太陽の道」

朝だよ
太陽がやってくる
でも夕べ降った雨のしずくが、
まだ光っている、まだ踊っている
この歌を運んでくる陽気な風に揺られて
手をつないで、さあちょっと出かけましょう
終わったこと、夢見たり、泣いたり、苦しんだことを思ったりせずに
だって、私達の朝がもう忘れさせてくれたのだから
手をつないで、さあ出かけましょう、太陽を見に





太陽の道:
原題「Estrada do sol」

ドローリス・ドゥラン Dolores Duran:
1950年代に主にサンバ・カンソン(サンバ歌謡)を歌って活躍した女性歌手、作曲家。代表曲に"A noite do meu bem" 。 ジョビンとの共作は、他に"Por causa de voce"がある。


(Pindorama 2006年8月号より転載)


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