bossa_nova



MICHINARIのボサノヴァと私
第四回 ボサノヴァと「ボサノバ」



 ボサノヴァはブラジル音楽である。当たり前のことを言うなって?しかし僕は「へえ、ボサノヴァってブラジル音楽なの?フランスの音楽かと思った」という発言を、何人もの日本人の口から聞いている。この僕だって、そう思っていた時期があったような気がする。なぜなのだろうか?

 その昔「男と女」というフランス映画があった。1966年の作品だそうだから僕が生まれて間もない頃だ。そのテーマ曲はかなり有名で、あの「ダーバーダー、ダバダバダ」だよ、と言えば年輩の人ならばたいがい、「ああ、あれね」と思われるかも知れない。実は、多くの日本人にボサノヴァをフランス産だと思い違いさせた張本人がこの曲だったと僕は踏んでいる。そしてこのフランス人作曲家フランシス・レイによる「男と女」の普及こそが日本における「ボサノ」の受胎であったろうと。断っておくが「ボサノ」は、僕のあつかう「ボサノヴァ」とは似て非なるものである。
 フランシス・レイは基本的にはフランスらしい曲を作る人だが、この曲についてはブラジルのボサノヴァを参考にしたと、僕は思う。1966年と言えば、名曲「イパネマの娘」が世界的に大ヒットした直後。影響があっておかしくはない。が、楽曲の構造上は、リズムにも和音の進行にも、さしてボサノヴァの影響は感じられない。ただ旋律がボサノヴァらしい半音階進行を多用しているのと、あのけだるいささやきの「ダバダバダ」。このたった二つの要素が僕らをして、この曲を「ボサノヴァっぽい」と思わせるのであろう。つまりボサノヴァ「風味」を備えていたということ。風味を取り去ってみれば、曲の精神と実体は、まさに「フランス」だ。しかし、この曲の普及によって当時、本物のボサノヴァを耳にする機会が少なかった、大半の日本人の間では、誰がこれをボサノバだと宣伝したのかは不明だが、(オシャレでアンニュイな旋律)+(ささやきのダバダバ)=「ボサノバ」、という奇妙な定義が生まれてしまった。
 こうして「ボサノバ」を認識した日本では、その後例えばユーミンの「あの日に帰りたい」、丸山圭子の「どうぞこのまま」、金井克子の「他人の関係」など、和製ボサノバも生まれていったわけだ。確かにアンニュイでダバダバ系だ。

 さて、ここで問う。ボサノヴァは本当に「アンニュイ=物憂げ」な音楽なのか。答えは否、である。ブラジルのボサノヴァの持つ美しい「翳(かげ)り」は、ポルトガル語にしか存在しないと言われる思慕の情"saudade"サウダーヂと、悲しみとがとけ合って醸し出す翳りであって、「デカダンス(退廃的傾向)」の匂う「アンニュイ」とは無関係だ。サウダーヂは、翳ってはいても、健康な感情だ。フランス人と日本人は、太陽と海の祝祭都市リオで生まれた健康なボサノヴァの中からそのサウダーヂの精神でなく、翳りの現象だけ盗んで、という言葉がいけなければ、取り込んで、自分達の甘美で薄暗いデカダンス趣味に供させた、と言えなくもない。断言するが、ブラジルには「デカダンス」は存在しない。ブラジルはまだ若い。文化の成熟度は、まだ青年段階だ。

 現在の日本では、さすがに、「ボサノバ」歌謡的な曲も流行遅れで、もはや作られていないけれど、この「フランス風アンニュイ」を求めてボサノヴァを聴いたり、歌ったりする傾向はまだかなりあると思う。その証拠にクレモンティーヌとかいうフランス人の歌手などは、わざわざ日本向けに「ボサノバ」のCDを作って成功しているという話ではないか。「ボサノバ」の伝統は生きているのである。生きていたっていい。それも一つの文化だから。でも、と僕は頑固に言う。「それはボサノで、ボサノヴァじゃないんです。」

 もう一つ、「ボサノヴァ」と「ボサノバ」の間には音楽上の決定的な違いがあった。それは、ボサノヴァはサンバだということ。そして「ボサノバ」はサンバではない。1958 年にボサノヴァを創始したジョアン・ジルベルトは、古いサンバを、それまで誰もやらなかったような演奏方法で蘇らせることに心血を注いだ人。サンバを歌うために生まれたボサノヴァ。どこまで行っても、ボサノヴァはサンバであり、またサンバでなくてはならない。
 ああ、そしてもう一つ、重要な相違点。「ボサノバ」は「オシャレ」が好きだが、ボサノヴァは「オシャレ」とは無関係。ボサノヴァがこだわるのは「elegancia(エレガンス)」だ。なに、ジョアン・ジルベルトの地味な背広姿がダサイって?いいえ、あれもひとつのeleganciaなのです。と僕は頑固に思う。





男と女:
クロード・ルルーシュ監督作品。出演俳優のピエール・バルーによって、ブラジルのボサノヴァもフランス語の詞で歌われる。

フランシス・レイ:
シャンソンおよび映画音楽作曲家。代表曲に「ある愛の詩」「白い恋人達」など。

ボサノバ:
bossa novaは、ここで筆者の言う「ボサノヴァ」も含めて、日本ではたいてい「ボサノバ」と表記されている。

サウダーヂ:
他言語での直訳が不可能な言葉。遠く離れているものを思い、求める切ない気持ち、と言ったら近いだろうか。ブラジルの歌謡で最も使用頻度が高い言葉だと言われる。




(Pindorama 2006年9月号より転載)


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