bossa_nova



MICHINARIのボサノヴァと私
第五回 ボサノヴァとは何か



 皆さんはこんな素朴な疑問を持たれたことはないだろうか。「ボサノヴァってなに?」「ボサノヴァとサンバはどう違うの?」
 日本の人には、あの華やかなカーニバルで、「どかすかどん!」と派手にやってるサンバと、静かで心地よいボサノヴァとの間に、とうてい接点があるとは思えないのではないか。しかし、前号で書いたように、1958年、確かに「ボサノヴァを創始したジョアン・ジルベルトは、古いサンバを、それまで誰もやらなかったような演奏方法で蘇らせ」たのである。つまり、ボサノヴァは「サンバの演奏様式の一つ」には違いないのだ。
 名サンバ歌手ベッチ・カルヴァーリョもあるインタビューでジョアンのことをはっきり「彼はサンビスタ(サンバ人)」と呼んでいた。が、サンバに包含される一ジャンルとして理解するには、ボサノヴァはあまりに個性的すぎる。そしてずばり「ボサノヴァってなに?」。どう答えたらいいだろう。

 僕は一時期、この質問に対して、面倒臭そうにこう答えていたものだった。「ボサノヴァは、室内楽としてのギター弾き語りサンバ」。サンバの演奏が多くの場合、屋外で合奏として行われること、ボサノヴァが基本的に弾き語りの独奏でなされることを考えてこしらえた奇妙なフレーズだったが、これは正しくなかった。
 なぜなら、伝統的なサンバ歌手が室内でジョアンと同じ小声、同じリズム、同じ和音で弾き語りをしたら、ボサノヴァになるかと言ったら、ならないもの。サンバ歌手が歌えば、サンバはどうしたって伝統的なサンバに聞こえる。つまりボサノヴァをボサノヴァたらしめるものは「演奏形態」や「演奏方法」ではなかったのだ。

 次。あのフランク・シナトラが、ジョビンと共に録音したジョビン名曲集アルバムがあるけれど、ジョビンがシナトラ自身に「こんなに小声で歌わされたのは生まれて初めてだった」と呆れさせるまで頑張ったにもかかわらず、あれはボサノヴァに聞こえなかった。美しいアルバムではあるが、つまるところボサノヴァの衣装をまとった、「シナトラ」だった。
 ボサノヴァの名曲を、しかもボサノヴァの名アレンジャー、クラウス・オガーマンの流麗なアレンジをバックに歌ってなお、の結果である。ということは、「ボサノヴァ」なるものは、「曲」でも「アレンジ」でもないということだ。
 また、ボサノヴァに関しては「ジャズの影響」ということもよく言われる。サンバ+ジャズ=ボサノヴァ、だと。ボサノヴァの和声とその進行にジャズの影響が見られるのは確かだが、「影響」はあくまで「影響」であって、本質を語る材料としては弱すぎる。
 では「言葉」はどうか?前々号で書いたように、確かにボサノヴァのために作られた曲の歌詞には、共通して「ボサノヴァの言葉」的傾向が見られる。が、ジョアンが古いサンバを歌う時、その言葉は、伝統的サンバの言葉だ。それなのに、見事、ボサノヴァになっている。ということは、問題は「言葉」でもないのだ。するといったい・・

 話は大きくそれるかのようだが、今、唐突に僕の大好きだった時代劇「木枯らし紋次郎」を思い出した。紋次郎を演じるのはどうしたって、中村敦夫でなければいけない。「座頭市」。これも近年北野たけしが演じたが、僕に言わせれば、やはり勝新太郎にしか無理だ。そして「眠狂四郎」。多くの俳優が頑張ったが、結局のところ市川雷蔵にはかなわない。
 何が言いたいのかというと、問題なのは「何(楽曲、歌詞)」を「どのように(演奏形態、奏法、アレンジ)」表現するか、ではなく、「誰が」表現するか、に尽きるだろうということだ。この答えには拍子抜けされたかも知れない。が、これが正解だと思う。

 ボサノヴァという名は実は音楽ジャンル名でなく、「紋次郎」や「座頭市」や「狂四郎」と同じくpe rsonagem(役、登場人物)の名であり、それに対して中村敦夫、勝新太郎、市川雷蔵と同じようにジョアン・ジルベルトという不世出の「演じ手」がいる。もちろんこの「ボサノヴァ」という役にはナラ・レオンなど、ジョアン以外の優れた演じ手も挙げられるだろう。
 「ボサノヴァ」のスピリット(つまり「役柄」)を構成する、suavidade(柔らかさ、優しさ)、sen sibilidade(繊細な感受性)、elegancia(エレガンス)、nobreza(気高さ)、modestia(慎ましさ)、そうした美徳を無意識のうちに内面に備えている人にだけ、そしてその人が、必要とされる先天的才能(例えば魅力的な発声)や演奏技術を有している場合にだけ、上手に「ボサノヴァ」という役が表現できるのであろう。
 ボサノヴァがpersonagemである以上は、例えばジョアンが演奏すればブラジル国歌だってボサノヴァだ(これは実際に数年前のショーで披露されたらしい)。

 前号で「どこまで行っても、ボサノヴァはサンバであり、またサンバでなくてはならない」と書いたことに矛盾するようだが、あえて言おう。ボサノヴァが正しくボサノヴァであり続けるために、つまりボサノヴァたるアイデンティティーを失わないために(紋次郎や座頭市が「渡世人稼業」をやめられないように)、ボサノヴァはその属するところの「サンバ」から離れることはできないけれど、ボサノヴァを自在に表現できる人にとっては、サンバに限らず、彼のなす何もかもが、ボサノヴァになりうるだろう。ロックであれ、演歌であれ、ジャズであれ、果ては会話、料理、人生にいたるまで。
 僕?僕にはこのpersonagemはつとめ切れそうにないなあ。たぶん、「ボサノヴァ・スピリット」検査には不合格だね。むしろ「紋次郎スピリット」検査のほうに合格かも知れない。




ボサノヴァ:
「ボサ(bossa)」は「才能」「適性」「手法」などの意。「ノヴァ(nova)」は「新しい」の意。したがって、直訳すれば「新しい才能」「新しい適性」「新しい手法」などとなる。

ベッチ・カルヴァーリョ(1946~):
「サンバの女王」とも呼ばれるベテラン・サンバ歌手。サンバの古老の作品や若い才能の紹介にもつとめるなど、サンバの発展に幅広く貢献してきた。

フランク・シナトラ(1915~1998):
世界的な成功をおさめたジャズ歌手。また映画俳優としてもアカデミー助演男優賞を獲得するなど、20世紀アメリカを代表するエンターテイナー。

クラウス・オガーマン(1930~):
ポーランド生まれのピアニスト、編曲家。ボサノヴァの編曲、特に弦楽器の使い方にすぐれ、ジョビンやジョアン・ジルベルトなどのアルバムでアレンジャーとして起用された。

「ボサノヴァの言葉」的傾向:
筆者は本誌第2号で、ボサノヴァの歌詞の特徴を「旋律が描く風景の印象を言葉にうつし換えたもの」として論じた

木枯らし紋次郎:
1972年に大ヒットしたテレビ時代劇シリーズ。長楊枝を口にくわえた紋次郎の「あっしにはかかわりのねえこって」の名セリフが流行語となった。

ナラ・レオン(1942~1989):
ボサノヴァを代表する女性歌手。「ボサノヴァのミューズ(詩神)」とも言われる。50年代後半、コパカバーナの彼女のアパートには多くの音楽家達が日々集い合って、ボサノヴァ誕生の揺籃となった。
 


(Pindorama 2006年10月号より転載)


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