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MICHINARIのボサノヴァと私
第六回 ボサノヴァの住む場所



 ボサノヴァの全盛期を知る68歳のカリオカが僕に言った。「ボサノヴァはリオでは"esta morta"(死んでいる)」と。残念ながらその通りである。今回は「ボサノヴァの住む場所」について書いてみたい。
 前号で僕はかつてのTVヒット時代劇「木枯らし紋次郎」を引き合いに出して、「ボサノヴァは音楽ジャンル名ではなく、personagem(役柄)の名だ」と論じた。
 そしてボサノヴァ最高の「演じ手」ジョアン・ジルベルトは高齢にもかかわらず、いまだ現役である。しかし、音楽は「演じ手」だけでは成立しない。適切な「聴き手」がいて初めて成立するのだ。「木枯らし紋次郎」が、それに拍手喝采する観衆がいて初めて成立するpersonagemであるのと同じことだ。結果、「木枯らし紋次郎」は去った。時代とともに日本の社会が、彼を必要としなくなったからだ。紋次郎はもはやDVDの中にしかいない。「紋次郎」の最高の演じ手である俳優中村敦夫が健在でも、である。
 これと同じことが、リオでは起こっている。

 ジョアン・ジルベルトはいまだ健在だが、もはやブラジルでは演奏しない。なぜか。拍手喝采する聴衆がいないからである。もっと正確に言うならば、拍手喝采はありうるけれど、それはジョアンが求める、かつての尊敬と熱狂に満ちた拍手喝采ではないということだ。 
 ではジョアンの「ボサノヴァ」は「紋次郎」のように永久に去ってしまったのか。否。彼は日本を発見した。僕は三年前、ジョアン初訪日の際に行われた四回のコンサートすべてを聴いたが、彼は徹頭徹尾、満員の聴衆の、尊敬に満ちた静寂と、熱狂に満ちた拍手とに包まれていた。以後、彼は訪日を重ねることとなった。
 ジョアンだけではない。多くのボサノヴァ系の音楽家が、現在海外を主な活動場所としている。ならば、彼らは海外に住んでいるのかというと、そうではない。ジョアンをはじめ、ほとんどのボサノヴァ人が、相変わらずリオに住んでいる。もはや彼らにとって、リオは仕事をする場所ではなく、住む場所としてのみ機能していると言っても過言ではない。
 しつこいようだが、仮に僕の家の隣に中村敦夫が住んでいるからと言って、そこに「紋次郎」が住んでいることにはならない。「紋次郎」の棲み家(すみか)は、テレビ画面の中にしかないのだ。ならば、ジョアンの家はリオにあっても、「ボサノヴァ」の棲み家は日本にあるということになる。しかし、そんなに「ボサノヴァ」にとって住み心地の良い日本に、なぜリオのボサノヴァ人は移住しないのだろうか。

 ボサノヴァは、この半世紀の間にジャズ同様、「世界音楽(世界中の人々に共有されるという意味で)」としての地位を獲得したが、今もなお「リオ音楽」であり続けるという矛盾をかかえている。
 彼らボサノヴァ人が日本に住んで、「リオ音楽」を追求し続けるということは、極めて困難なことだ。それは日本人がリオに住んで三味線を弾き続けるようなものだろう。決して大袈裟なたとえではない。それくらい、我々日本人の文化と、リオの文化は異なっているのだ。日本人が日本語を話し、味噌汁をすすり、おじぎをし、カリオカがポルトガル語を話し、黒い豆を食べ、両頬にキスをしている間は、その隔たりは縮まらない。
 文化というものは、民族の言語や習慣や社会を「根」にした有機的な複合体であって、その中から「花」であるところの音楽だけをさらって、どこか遠い国で、生かしてゆくことはできないのだ。そして気候や自然も無視できない。リオのボサノヴァ人は、リオの光を浴び、リオの空気を吸い続けるからこそ、「生きた」ボサノヴァを世界の各地で演奏し続けられるのだ。
 では、失礼な表現ではあるが、現在「生き残って」いる高齢のボサノヴァ人たちが、いつの日か、すべてリオから消えた時、いったいどうなるのか。ボサノヴァは完全にリオから消滅するのか。残念ながら答えは、sim、である。そしてその時、ボサノヴァはどこに生きているのか?CDの中に、である。ボサノヴァの永遠の美は、CDの中に永遠に生き続けるだろう。世界中の未来の聴き手が、その普遍かつ不変の美を享受し続けるだろう。「世界音楽」として、また失われた「リオ音楽」として。
 ああ、しかしこの悲愴なトーンのままでは文章を終えられないぞ。何かもっと明るい展望はないか。ある。実はボサノヴァの最良の棲み家は、ブラジルの中にちゃんとあったのだ。ブラジル文化が、混血文化であることを思い出そう。ブラジル原住民インディオは、単にその数を減らして、居留地に甘んじているだけか?否。インディオの血は、多くの混血ブラジル人の中に、そしてインディオの文化はブラジルの文化の中にしっかり生きているのだ。それと同様、ボサノヴァは、現在の多くのブラジル音楽の中に「血」として生きていると言っていい。カエターノ・ヴェローゾの音楽に、マリア・ヒッタの音楽に、そしてアドリアーナ・カルカニョットの音楽に、ボサノヴァが生きているのは誰も否定できない事実であろう。それでいいのだ。文化にとってだいじなのは、「活かされて」ゆくことであって、「生かされて」ゆくことではないのだから。




カリオカ:
リオ市生まれの人の呼称。「リオの」という形容詞としても使用される。

カエターノ・ヴェローゾ:
1942年生。60年代後半から現在に至るまでブラジルのポピュラー音楽の第一線で活躍してきたシンガー・ソングライター。ジョアン・ジルベルトの信奉者としても知られる。

マリア・ヒッタ:
歌手。母に不世出の大歌手エリス・レジーナ、父に名ピアニスト、セーザル・カマルゴ・マリアーノを持つ。2003年のデビューCDが大ヒットを記録。

アドリアーナ・カルカニョット:
1965年生。感情を抑えた小声で歌われるパーソナルな世界が若者に支持されるシンガー・ソングライター。

黒い豆:
リオではブラジルの他の地域と異なり、ふだんからフェジョアーダに用いられる黒豆を食する。

両頬にキス:
日常のあいさつとして、サンパウロなどの地域では片頬にキスをするが、リオでは両頬にする習慣がある。


(Pindorama 2006年11月号より転載)


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