bossa_nova



MICHINARIのボサノヴァと私
第七回 ボサノヴァの効用



 今から22年ほど前、ボサノヴァを聴き始めた頃、僕はその静かで柔らかな音に包まれながら、自分自身を「海底で傷を癒すガメラ」のように感じていたものである。そう、あの懐かしの正義の怪獣ガメラだ。ガメラは敵との戦いで受けた傷を、海の底にじっと身を潜めて治すのが常であった。
 その頃の僕は、人生の選択の岐路に立って、様々に思い悩み、心身ともに疲れ切っていた。ボサノヴァはそんな僕の傷ついた心を、実に優しげに、親しげに、そして涼しげに、ほてりを冷ましながら「治癒」してくれたのだった。朝に夕に、夏に冬に、僕はボサノヴァを聴きつづけた。当時の僕にとってボサノヴァは、まさに「生きるために」必要なものだった。
 この僕と同じように、ボサノヴァを聴くことで、心が癒されると感じたことのある人は、案外多いのではないか。僕のある古い友人など、「ボサノヴァを聴いているとね、海底のガメラみたいに云々」と、まったく僕と同じイメージを語り出して、僕を驚かせたものだ。しかしガメラは別にしても、僕らふたりが一致してボサノヴァに「海」、「水」をイメージしていたことは、偶然ではないような気がする。ボサノヴァの穏やかなサウンドとリズムが与える安心感は、僕らがこの世に生まれ落ちる前の、羊水の中の安心感に近いのではないだろうか。これは想像に過ぎないが。そして、ボサノヴァのギターの特徴である不協和音。「不協和」という言葉自体は不穏だが、ギターの低音弦どうしの不協和が醸し出すバイブレーションは、実は妙に心地よく体に響くものだ。ブルガリアの民族音楽における合唱の強烈な不協和音は、農作物の成育に効果があると信じられていたらしいが、これも案外迷信ではないのかも知れない。
 ここでひとつ断っておくが、音楽家臼田道成は「音楽は手段ではなく、目的であるべきだ」というのを持論としている。つまり、BGMのように音楽が何か音楽以外の別の目的のために「使用」されるのを良しとしない、ということだ。
 しかし22年前の僕の傷ついた心が、ボサノヴァを聴くことで癒されたのは事実であり、音楽のもたらしてくれた恵みに対して、僕は心から感謝している。厳しい持論の一方で、そういう音楽の享受のされ方があってもいいではないか、とも思うのだ。音楽は古来、人類の生活の伴であったのだから。

 さて、ボサノヴァの音に「癒し」効果があることは、すでに見て来たとおりだが、その詞にも、「傷ついた心」を扱ったものが多いことに気がつく。たとえば、ここに紹介する"meditacao(瞑想)"。もっともボサノヴァの真髄を行く作品群を共作した名コンビ、ジョビンとニウトン・メンドンサによる名曲である。


"meditacao(瞑想)"

愛と微笑と花を信じた人は
夢見た、夢見た
そして平和を失った
愛と微笑と花は、
あまりに早く姿を変えてしまった

それらすべてが失われるのを見る悲しみを
胸に秘めた人は
孤独の中、道をさがし、
そしてたどって行った
幸せな日が再び訪れることは、
もはやあきらめて

泣いて、あまりに泣いて、
涙もかれ尽くした人は
やがて愛と微笑と花のもとへ戻り
そしてすべてを見つけた
痛みそれ自身が、
愛の道を照らし出してくれたから
そして悲しみは終わりを告げた


 僕の住むここリオは、犯罪の危険を除けば、生活のストレスは極めて少なく、何もかもがゆるく、そしてゆるやかに流れている。こんな空気の中では、正直言って、ボサノヴァを聴かずとも心安らかに生きていられる。その一方、日本で生きるということは、まさにストレスの中を「生き抜く」ということだと思う。「音楽は手段ではない」のだが・・。うむ、遠い日本の人々に処方してしまおう。ジョアン&ジョビン研究所による発明の良薬。もちろん化学物質不使用。副作用なし。

品名:ボサノヴァ
効能:心身の調和の回復と維持
服用法:朝に良し、夕に良し、聞き流して良し、また聴き込んでなお良し
ぜひお試しあれ。




(Pindorama 2006年12月号より転載)


home
profilelive scheduleproductsschooltextphoto & videolinks

inserted by FC2 system