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ボサノヴァ三聖人物語


アントニオ・カルロス・ジョビン Antonio Carlos Jobim:
1927-1994/作曲家、ピアニスト


「ボサノヴァ」というジャンルにおける名曲の大半を作曲した、まさにボサノヴァの楽曲面での立役者。しかし、実際はボサノヴァ誕生以前のロマンチック歌謡「サンバ・カンサゥン」の名曲も数多く作っているし、「リオデジャネイロ交響曲」のようなクラシカルな大作まで、幅広いジャンルにまたがって作曲活動を行なった、20世紀ブラジル音楽を代表する大作曲家である。だからこそ、その死後、リオの国際空港であるガレオン空港は、この大作曲家への敬意を表すべく「アントニオ・カルロス・ジョビン空港」に改名されたのであろう。「トム・ジョビン」の愛称でブラジル国民皆に愛された真正のブラジル人でありながら、ユニバーサルに通用する才能と、開かれた人間性とを持ち合わせた、まさに”cidadão do mundo”(世界市民)であった。
幼時からピアノ、作曲法など西洋クラシック音楽の英才教育を受け、特にショパン、ドビュッシーなどの作曲家から深い影響を受けていたことは、彼の作品から容易に窺い知ることができる。作曲家としての成功は、何と言っても詩人ヴィニシウス・ジ・モラエスとの共作による一連のボサノヴァ作品によってもたらされたが、例えば「三月の水」のような、自身の作詞作曲による作品世界もあれば、また、後半生には自らの家族や友人と組んだ「バンダ・ノヴァ」による演奏活動を通じて、演奏家、歌手としても開花することとなった。晩年は作品を通じて、エコロジストとしての面目も躍如。動物を、植物を、地球を愛し、それらに歌を捧げた。
リオのレブロン地区にあった”Bar do Tom”(トムのバー)は、彼が生前通って、生ビールとステーキを楽しんていたレストラン「プラタフォルマ」の、彼の特等席があった部分をその死後、ライブハウスとして作り直したものだった。世界的なマエストロは、その特等席を訪ねれば「誰もが会える人」であり続けた。究極のリラグゼーション・ミュージックを遺した人ならではのエピソードである。

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ヴィニシウス・ジ・モラエス Vinícius de Moraes:
1913-1980/詩人、作詞家


ボサノヴァ最大の作詞家であるヴィニシウスは、若き日にオクスフォード大学で学んだインテリであり、いくつもの言語を操る外交官として働いた。しかし、その後、酒と愛と芸術の世界に居を定め、ありあまる情熱ゆえに9度の結婚を重ねた稀代のボヘミアン。1958年にジョアン・ジルベルトの演唱で発表された、かの名曲「シェガ・ジ・サウダージ」がボサノヴァの誕生を画したことは、多くの人に知られていることだが、その曲の作詞家であるばかりでなく、世界で最も有名なボサノヴァであるところの「イパネマの娘」も彼とアントニオ・カルロス・ジョビンとの共作である。そればかりか、ボサノヴァの楽曲面での立役者ジョビンを、そもそも共作者として「リクルート」したのがこの詩人であった。つまり、ヴィニシウスなくして、後の大作曲家ジョビンは誕生しなかったし、ひいては、ボサノヴァの創造者ジョアンも誕生しなかったと言って差し支えなかろうと思う。ヴィニシウスは、いうまでもなく、ボサノヴァの文学的側面を担ったが、彼の功績として、ジョビンを始め、カルロス・リラ、バーデン・パウエル、エドゥ・ロボ、トッキーニョ、など優れた若い作曲家を共作者として抜擢し、成功へと導いた、プロデューサーとしての面も見落とすことはできない。そして、その共作の現場には、必ず彼が愛した「ウイスキー」があって、音楽と酒の親和性も、ヴィニシウスを語るときには忘れてはならない。また晩年、彼の家には多種の動物が放し飼いにされていたそうで、争うことなく共存する彼らに感銘を受けていたとか。人と人の間にも垣根を作らず、愛と友情による自然な交わりの中で、人生を謳歌しながら豊かな創造活動を続けた詩人は、ジョビン同様、後半生では、自作を歌う歌手として、最後の作曲パートナーであったトッキーニョと世界をツアーして回った。ステージ上でも、きまってウイスキーのグラスを相棒に。

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ジョアン・ジルベルト João Gilberto:
1931-/歌手、ギタリスト


泣く子も黙るボサノヴァの創造者。しかし彼がボサノヴァを「創造」したという説に異論を唱える人もいる。確かに、ボサノヴァは、全体としては、自分たちの新たな音楽を作ろうという、若い世代による「ムーブメント」であったのだから、たった一人の天才が創造した、というのは極論なのかも知れない。が、優れたジョビンの曲、ヴィニシウスの詞があったとしても、あるいは若者たちの新たな音楽的アイデアがあったとしても、それらを実際に音で表現できる誰か、がボサノヴァ誕生には必要であったのだ。曲と詞は、いわば「テキスト」である。テキストは表現されて初めて、生きた「音楽」となって、私たちの心に届く。ジョアン・ジルベルトは、音楽のあるべき姿、すなわち何を歌うべきか、いかに歌われるべきか、いかに弾かれるべきか、そしていかに聴かれるべきか、という確固たる「理念」を持ち、それを革新的な声とギターのコンビネーションで実現させた不世出の演者である。ジョビンがボサノヴァの楽曲面での、ヴィニシウスが言葉の面での立役者であるとするなら、ジョアンは表現におけるそれであると同時に、ボサノヴァ最大の「思想家」であった。
ジョアン・ジルベルトが成した最も大きな音楽的革命は、「静寂」を演奏表現に持ち込んだこと。それは、簡単に言うならば、聴き手がジョアンの演奏を聴きながら、同時に「静寂」を聴くことができるということ。つまり、聴き手の耳と心を、ジョアンの音で「満たさない」ということだ。彼が世界で最も小さな声で歌うのは、それ自体が目的なのではなく、聴き手である我々に、風の音、雨の音、沈黙、そういったものを聴く「余地」を与えるためではないだろうか。ボサノヴァのギター弾き語り芸術の創始者にして完成者。今や世界的な音楽遺産となったボサノヴァだが、ジョアン・ジルベルト芸術の研究なくして、後世に正しく伝えることはできないであろう。


『ジャズ批評』誌(2018年9月号)より転載







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