bossa_nova

臼田道成インタヴュー(2018年)


日本のボサノヴァシーンをリードし続ける臼田道成。本場ブラジルで修行し会得した技術と知識を持っていながらも、いまだ探求し続けるその姿はまさにボサノヴァの研究者。ボサノヴァをやろうと思ったきっかけはなんだったのか?ブラジルではどんな生活をしていたのか?そもそもボサノヴァとはどういう音楽なのか?たっぷりとお話しいただいた。(聞き手・星向紀)




医者志望からボサノヴァ演奏家へ


――ボサノヴァとの出会いについて教えてください。

臼田 普通ボサノヴァを知るきっかけというと「ゲッツ/ジルベルト」だったり、日本にボサノヴァを紹介した渡辺貞夫さんのレコードだったり、ジャズから入る人が多いと思いますが、ぼくの場合はちょっと違います。
もともとは医者を目指していました。でも、民族音楽学のパイオニアである小泉文夫さんの著書を読んで心酔してしまって、ぼくも小泉さんのようにフィールドワークをしながら民族音楽を研究したいと医学部をやめて東大に入りました。で、民族音楽学を学ぶにあたって世界中の音楽を聴いていこうと、レコードを収集したりラジオの民族音楽番組を聴いてたんです。ある時ラジオを聴いてると映画『黒いオルフェ』の挿入歌「カーニバルの朝」が流れたのですが、それにすっかり感動して、この音楽は研究するんじゃなくて自分で歌いたい、演奏したいと思ったんです。高校時代に現在音楽プロデューサーとして活動している亀田誠治らとバンド活動をしていたこともあって、演奏家魂が再燃して、東大に入る時には独学でボサノヴァを勉強してました。

――初めて買ったボサノヴァのレコードはなんですか?

臼田 今でこそいろんなレコードが売られてますけど、当時はほとんどが廃盤でした。家の近所のレコード屋に2枚だけボサノヴァのレコードがあって、ひとつがジョアン・ジルベルトのオムニバス盤、もうひとつがアントニオ・カルロス・ジョビン名曲集で した。2枚とも購入して聴いてみたら本当に素晴らしかったんです。

――その2枚がミュージシャンを目指すきっかけになったわけですね?

臼田 「これを研究すればいいのか!」と、それから家にこもってジョアン・ジルベルトのギターを耳コピーするようになりました。大学にも行かなくなっちゃって(笑)。何年も続けているうちにライヴハウスでも演奏できるようにはなりましたね。
ポルトガル語もテキストを買ったりして勉強しました。東大にブラジル人女性の留学生がいたので、 彼女に発音を教わってだんだんと形にしていきました。
練習するのと同時にレコードもたくさん買いましたし、ラジオ番組もエアチェックしていろいろ聴いているうちに、こういう音楽もあるのか、と知るようになりました。ボサノヴァから始まって、サンバ、 ショーロ、MPBなど、ブラジルのいろんな音楽を吸収していきました。
その後、実際に現地に行って、さらに深くボサノヴァを学ぼうとブラジルへ行くことにしました。



「BIP BIP」との出会い


――ブラジルではどのような生活を送っていたのですか?

臼田 最初はとにかくブラジルの空気を吸って、現地のミュージシャンと交流ができればくらいに思ってたんだけれども実際にはボサノヴァを歌ってる人はほとんどいないんです。大袈裟な言い方をすれば「ボサノヴァは死んでいる」と向こうのミュージシャンが言うくらい、事実上忘れられてしまった音楽 と言ってもいいと思います。何人かの巨匠は生きてますよ。でも、ぼくらより若い世代でボサノヴァ・ ミュージシャンとして生活してる人がいるのかと聞かれると、ほとんどいません。なので、最初に行ったときは方向を失ったというか、リオに来たはいいけど、どこもボサノヴァをやってないなっていうのが正直な感想です。
ボサノヴァの作曲家カルロス・リラがあるドキュメンタリーの中で「ボサノヴァは一度としてブラジルを征服したことはない」と言っていました。階級社会のブラジルでボサノヴァは中流階級の音楽であり、下層から上流まで幅広く聴かれている音楽ではない。そのかわり世界の中流階級に愛される音楽だと。だから水平的に世界を征服してるんだけど、ブラジルの国内で縦には征服できていないんです。だから1958年にボサノヴァが生まれてからも、そんなに大ヒットまではしてないんじゃないかな。

――ボサノヴァを演奏できるようなお店はあったのですか?

臼田 いくつかはありましたが、どれもボサノヴァ専門のお店ではないんです。これではリオにいてもしょうがないかなと思い始めた時に、ある人からボサノヴァが好きなら「BIP BIP(ビッピ・ビッピ)」 というバーがあるから水曜日に行ってみなさいと言われました。その店はライヴハウスではないんだけど、プロ、アマチュアを問わず入り混じって毎日セッションをしてるような場所でした。基本的にはサンバやショーロがメインで、水曜日だけボサノヴァを演奏するんです。楽器を持った多くの人がやって来て、店のテーブルを囲んでボサノヴァを弾いたり歌ったりします。ボサノヴァを好きな人はやはりいて、そういった人達がその店に集まるんですよ。
ぼくも実際にお店に行ってみたら、君もやってみなさいと言われたのでボサノヴァを歌ったら気に入られちゃって。それから毎週その店に通い続けて、最終的にはそこのメインギタリストとして演奏していました。
ブラジルには5年いましたが、「BIP BIP」に出会ってからの4年間というのはぼくの音楽人生の最も重要な時期ですね。

――アルバム「トロバドール』について教えてください。

臼田 これはブラジルに滞在した最後の3年間で作りました。アルバム制作の最初の年は、収録する曲を考えたり、それらを練習する準備期間に当てて、次の年からレコーディングに取り掛かりました。だけど、自分の理想と技術に差があってなかなか納得するものが録れなかった。で、最後の年に自宅で収録する曲を全部録りました。
ある時ジョアン・ジルベルトのマネージャー、オターヴィオさんにBIP BIPで出会っていろいろと話をしてたら意気投合しちゃって。『トロバドール』のライナーノーツをお願いしたんです。そしたら次に会ったときにジョアンと一緒に聴いたよって言うじゃないですか。
「ぼくの家にはCDプレイヤーがないからジョアンの家で聴いたんだ。彼は君に『Parabéns! (おめでとう)」の言葉を贈ったよ」って。
その瞬間、それまでの努力や苦しんでたものが、すべてふっ飛んだというか、正しかったんだって思いましたね。だからこのアルバムを作成していた3年間は、ぼくにとって非常に意味のある期間でしたね。



ボサノヴァはサンバの子供


――ボサノヴァを学ぶうえでたいへんなことは?

臼田 リズムですね。サンバもそうなんだけど、ボサノヴァって1拍目がシンコペートしてるのがほとんどで、慣れていないと小節の頭がずれて聴こえるんです。これは黒人音楽の要素を含んでいるからで、ブラジルの音楽って南米の音楽の中でも唯一アフロの要素が入った音楽なんです。トリッキーなリズム遊びがアフロの特徴で、彼らはそれを楽しんでいるわけだから騙されて当然だとは思います。でも、演奏するってことは自分が騙されてはいけなくて、騙す側にならないといけない。
じゃあ騙されないためにどうすればいいかという と、ビートを体の中に入れるわけなんだけど、やはり赤ちゃんの頃からサンバのリズムに触れて育った人と、後から勉強して身につけようとした人では圧倒的に後者のほうが難しいですよね。
サンバもボサノヴァも2拍子ですから、確固たるものとしてビートを体に入れられればシンコペーションがいくらあってもぶれない。ですが、そのビートはメトロノームでは身につきません。なぜかという 重さが違うからです。ボサノヴァのリズムって結局はサンバのリズムで、1拍目は軽くて2拍目が重い、 1拍目が短くて2拍目が長い、この重量感の違いが身につくと上手に演奏できると思います。ぼくもブラジルにいた5年間の中でだんだんと身についていきました。

――するとボサノヴァはサンバと共通していると考えていいわけですね?

臼田 ぼくは、ボサノヴァはサンバの子供だと考えています。ただし突然変異の子供。どういう変異かというと、やっぱりボサノヴァにはジャズとクラシックの影響が入ってますよね。アントニオ・カルロス・ジョビンがボサノヴァ名曲と言われる楽曲の多くを作っていますけど、彼はもともとクラシックの作曲家・演奏家になるための英才教育を受けた人。 彼はおそらくドビュッシーら近代作曲家がものすごく好きで、それを持ち込んでるんです。だから彼のハーモニーは、ジャズからきたハーモニーではなくて、ドビュッシーからきてるんじゃないかと思っています。それからボサノヴァのもうひとつの柱にロベルト・メネスカルという人がいます。彼はクラシックの影響はほとんどなく、根っからのジャズ好きで、ボサノヴァをやる前はジャズバンドで演奏していた人なんです。
彼らのようにクラシックとジャズのハーモニーの要素を吸収してなおかつ、それらをサンバのリズムの上に乗せたものだと考えています。

――昨年出た「世界中を青い空が」について教えていただけますか?

臼田 ボサノヴァ・アーティストとしては路線がかなり違ったアルバムで、22年ぶりのオリジナル曲集です。ボサノヴァを日本に広めたいと長く活動してきましたが、かつては、自分で作った曲を日本語で歌うということにもこだわっていた人間です。その原点にようやく戻ってきたかなと。ライフワークとして続けたいなと思っています。本作はシンガーソングライター臼田道成の復活宣言でもあります。
じゃあボサノヴァはもうやらないのかというと、そうではなくて、ぼくはボサノヴァと結婚したと言ってますから(笑)。時々あっちに行ったりこっちに行ったりすることがあっても、必ずボサノヴァに戻ってくる。ボサノヴァは一生付き合いたい音楽だし、後世に残るよう、きちんと保存しなければならないという使命を感じますね。



『ジャズ批評』誌(2018年9月号)より転載







home
profilelive scheduleproductsschooltextphoto & videolinks

inserted by FC2 system