新・一枚のブラジル音楽〜臼田道成




「The Legendary / ジョアン・ジルベルトの伝説」

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今回はボサノヴァ生誕50周年を記念して、その生誕を画した録音、"Chega de Saudade"が収められたCDについて語ってみようと思う。その名も「The Legendary/ジョアン・ジルベルトの伝説」(以下、単に「伝説」と記す)。ただし、このCD、現在入手困難である。なんだって、わざわざ入手困難なものを紹介するんだ、読者に不親切じゃないか、とお叱りを受けそうであるが、人類の音楽文化の明日を思えばこそ、という気持ちで、あえてこの一枚を取り上げる。
この「伝説」はサブタイトルに"The Original Bossa Nova Recordings1958-1961"とあるように、ボサノヴァの創造者と言われるジョアンの、まさにボサノヴァ「創造直後」に、続けて発表された三枚のLP盤レコード(註)を1990年、原盤を管理するEMI-ODEONがジョアンに無断で一枚のCDとして編集した上、「伝説」などという、ジョアンが最も嫌いそうなタイトル(註)をつけて勝手に発売してしまった商品であった。結果、ジョアンは、オリジナルの曲順や音質を無視した改編(彼にとっては改悪)を許さず、法廷に告訴、ついには勝利し、発売禁止にいたらしめた。
販売されていた当時、私などは、そんなジョアンの闘争なぞ、ついぞ知らず、あの歴史的「三部作」を一枚で聞けるなんて重宝、と喜んで購入した一人だが、それにしても、ひどいことをすると思ったのは、全39曲(註)の音源のデータ量が、CD一枚に収めるには、時間にして二分ほどオーバーしていたのだろう、「O Nosso Amor」と名曲「A Felicidade」の二曲を、テンポとキーが同一であること、楽器編成が似通っていることなどを利用(悪用)して前者の途中と、後者の途中とでつなぎ合わせ、さも「メドレー」であるかのように見せかけて、短く編集してあったことである。ジョアンが激怒するのも無理はない。
当たり前のことではあるが、アーチストの発表するアルバムとは、単に演奏記録物の羅列ではない。音はもちろんのこと、曲順や曲間の秒数にいたるまで、作り手によって精緻に練られた、骨折りと、心づくしの仕事の結果としてあるものだ。良き「一枚のアルバム」は一枚としてその世界を完結している。ましてや、今年50周年を迎えるボサノヴァの原点ともいうべき、歴史的録音の数々が受ける仕打ちとして、この無理矢理に一枚に詰め込んだ「レジェンダリー」ならぬ「エコノミー・ジョアン・ジルベルト」はあまりといえばあまりの暴挙である。

ボサノヴァは、人類の耳が享受する豊かな世界音楽遺産のひとつとして生きているし、未来においても、生き続けるであろうと私は信じている。その未来永劫生き続けるであろうボサノヴァの、「生まれたて」の姿を耳にすることができるのは、この三部作においてのみである。生まれたての姿であると同時に、しっかりした「完成形」(円熟による「くずし」の芸に移る前の)でもある。
また、この音源は、リスナーにとって貴重な音楽遺産であるというにとどまらない。ボサノヴァの演奏を試みる者たちにとって、これに勝る「音で書かれた教科書」はないということである。何を隠そう、私のボサノヴァ修行もこの三部作LPのギター演奏コピーから始まったのだった。そして、その教材選択は正しかった。完成されているが、まだくずしていない芸を、憧れをもって模倣することほど、初学者にとって有効な習得法はないのだから。
そして、ボサノヴァの道をさらに先へとたどって行く者たちにとって、この音源は、常にその座右にあって、精神的な道を指し示す、いわば「音で書かれた哲学書」のようなものだ。つまり、どのように演奏するか、だけでなく「なぜ、何のために」そのように演奏せねばならないのか、が示されているからだ。

世界じゅうのボサノヴァに関わる人間達が、このボサノヴァ50周年にすべきことは、なにもボサノヴァが50周年生き続けたことを喜び祝うことだけではないであろうと思う。むしろ、このボサノヴァという音楽を、より正しい形で保存、また同時に発展させつつ100周年、200周年へとつなげるために、現在廃盤となっているこれら三枚のLP、ボサノヴァ最高の教科書にして哲学書であるところの音源を、一枚でなく、三枚のCDとして、生まれたままの形で復刻発売させる努力こそ、意味ある50周年記念事業となるのではないか。そして当のジョアン・ジルベルトも、それを望んでいるはずである。

記念すべきボサノヴァ50周年に、その起点たる1958年7月10日、ジョアンの声とギターによって録音された「Chega de Saudade」が収められたCDを、世界のどこでも買うことができないというのは、ボサノヴァの悲劇、を通り越して、もはや不幸な喜劇である。真のアーチストの心、ジョアンの心が理解されて、このボサノヴァの原点たる録音の数々が「三枚のブラジル音楽」として我々の手に届く日を望んでやまない。


三枚のLP盤レコード:
"Chega de Saudade" (1959)、"O Amor, o Sorriso e a Flor"(1960)、"Joao Gilberto"(1961)

ジョアンが最も嫌いそうなタイトル:
ジョアンは巷間に広まった、彼の数々の奇行伝説に迷惑していると聞く

全39曲:
3枚のLP盤の他、同時期に録音された3曲を含む

(PINDORAMA 2008年8月号より転載)

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