新・一枚のブラジル音楽~臼田道成




「ブエノスアイレスのヴィニシウス・ジ・モラエス」
("Vinicius de Moraes en Buenos Aires" con Maria Creuza y Toquinho)

jacket

あの「イパネマの娘」を生み出した、ボサノヴァ随一の共作コンビ、アントニオ・カルロス・ジョビンとヴィニシウス・ジ・モラエスの数ある名曲の中で、私がもっとも愛する作品はどれかと問われれば、迷わず"Eu sei que vou te amar"(私はあなたを愛してしまう)であると答える。実はこの曲、和音の進行をとっても、メロディをとっても、また詞の内容を見ても、これといって人を驚かすところのない作品で、この共作コンビが書いた、ボサノヴァ第一号曲と言われる"Chega de Saudade"のような斬新さ、複雑さは見られない。スタイルはボサノヴァ以前の時代に流行った、甘いサンバ・カンソンのそれだ。なのに、適切な声とアレンジを得た時、この曲は、時代を越え、人の耳と心をとらえずにはおかない。人の真の美しさは、外見ではない、心にある、とはよく言われるが、まさに曲の美しさも譜面上の外見ではわからない、ということだろう。

前置きが長くなったが、今回取り上げるCD「ブエノスアイレスのヴィニシウス・ジ・モラエス」には、私が今までに耳にした中で、最も美しい"Eu sei que vou te amar"が収められている。私はこの曲のマニアだから、LPやCDのジャケットでこの曲の名を目にすれば必ずと言っていいほど入手して聴いてきた。30に余るカヴァー録音を聴いたであろうか。今ざっと思い浮かぶだけでも、ジョアン・ジルベルト、カエターノ・ヴェローゾ、シモーニ、ミルトン・ナシメント、ジョイス、作曲者のジョビン等による録音があるが、それらのどれよりも、このアルバムの"Eu sei que vou te amar"は美しいと断言する。

この曲の歌詞を書いた詩人ヴィニシウスは、彼の最後の共作パートナーとなった若きギタリスト、トッキーニョと、創作のみならず各国を回る公演活動も盛んに行った。そのツアーには女性歌手を伴うことが多かったようだが、このCDにおけるマリア・クレウザとのコンビネーションは絶妙で、彼女のあやうげな若さと翳りを漂わせる、音程の良い美声と、老いてなお艶っぽい詩人の、調子っぱずれな悪声、そしてその二つの声をさわやかに結ぶ青年敏腕ギタリストの三者が、隣国アルゼンチンにおいてbrasilidade(ブラジル性)そのもののような香り高い音楽空間を生み出している。ちなみに、このアルバムはスタジオでの公開ライブ録音の形で録られたようで、曲の間にはヴィニシウスの冗談に笑い興じる客たちの声や、また無類の酒好きであるヴィニシウスのグラスの氷の音までが聞かれる、まさに生々しいレコード(記録)だ。

ずばり、この曲の、そしてこの録音の、そしてこの一枚の魅力は何であろうかと考える。答えはひとつ。濃厚な「恋愛の空気」とでもいうものだろう。同じ曲を歌っても、例えば、ジョアンが歌う"Eu sei que vou te amar"は全き調和と静寂を求める孤独な「行者(ぎょうじゃ)の愛」を感じさせるし、ミルトンの歌うそれは教祖の「大きな愛」「崇高な愛」、そういうものを感じさせる。が、生涯に多くの結婚と離婚を繰り返し、ほとんどの詩作の源を恋愛に求めてきたこの詩人の声は、他でもない、人と人の間の愛を語っているのだ。遠くで見守る愛ではない。あくまでも、相手に近づき、融合しようとする愛である。精神と肉体の別もなく、ひたすら相手を「欲する」愛である。
マリア・クレウザがこの上なく女性的な声で「私はあなたを愛するだろう/一生あなたを愛するだろう/別れるごとにあなたを愛するだろう/絶望的にあなたを愛するだろう」と切々と歌えば、間奏部でヴィニシウスがその酒に灼けたノドで、雄々しく自作の愛の詩"Soneto de Fidelidade(忠誠のソネット)"の朗読で応え、そしてラストに二人声を合わせて「私は永遠の不幸に耐えるだろう/あなたのそばで生きる日を待ちながら、命のかぎり」と歌う時、私たちが感じるのは男女の濃密で甘美な恋愛の空気以外の何ものでもない。

付け加えておくが、このアルバムに収められた他の名曲、「プレリュードのサンバ」「私の恋人」「もしもすべてがあなたのようだったなら」の3曲についても、他のカバー録音の追随を許さない、最高の録音であると言える。そして、ふと思う。こんな味気ないデジタル円盤の中に、これほど生々しく濃密な空気が詰め込めるなら、CDも捨てたもんじゃないな、と。

(PINDORAMA 2009年2月号より転載)

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