新・一枚のブラジル音楽~臼田道成




ミルトン・ナシメント「魚たちの奇跡 - ライブ」
(Milton Nascimento "Milagre dos peixes - ao vivo")

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「時代の狂気を感じる」。このアルバムを聴いた、私のある友人の言葉だ。
この「魚たちの奇跡 - ライブ」が録音されたのは、1964年から21年間に渡るブラジルの軍事独裁政権時代のど真ん中にあたる1974年であるが、ここで歌われている歌詞に、権力へのあからさまなプロテストの言葉は見られない。にもかかわらず、全16曲の録音の隅々にまで「痛み」と「憤り」の空気が満ち満ちている。言葉にしきれない思いが、音として噴出してしまったというべきか。事実、このアルバムの曲には、歌詞のない、声だけで歌われる部分が多いのだが、当局の検閲が厳しいために、このような形で歌わざるを得ない事情があったとも聞いた。しかし言葉を封じられてもなお、声だけで歌おうとする姿勢がすでにプロテストであろう。そしてミルトンの「言葉なき声」は「痛み」「憤り」そのものと化している。
「愛と微笑みと花」を旗印とした「平和の音楽」ボサノヴァを聴いて育った音楽好きの若者たちが、時代の激しい渦の中で、「痛みと憤り」を旗印に、「闘う音楽」を創造しなくてはならなかった悲劇。しかし真のアーチストは、時代との関わりを避けて創造活動を行うことはできない。「血や剣を歌ってはならない」と語ったといわれるボサノヴァの巨匠ジョアン・ジルベルトが、この時期祖国を離れて活動していたのも、やはり時代との関わりの中で採られた、自己の芸術を守ろうとするアーチストの、正しい選択であったろうと私は思う。それを単に現実からの逃避と責めることはできない。が、祖国にとどまり、その危機に勇敢に立ち向かおうとしたブラジル音楽の若い才能たち、カエターノ・ヴェローゾやシコ・ブアルキなどと同様、ミルトン・ナシメントに国民が寄せる期待は、いかほどだったであろうと想像される。そしてこのアルバムを聴くと、70年代のミルトンの才能と精神と体力とが、みごとにその民衆の期待に応え、まるで体制側の圧力と民衆の怒りとを、そのまま自分の創造力として取り込み、それを「狂」的なまでに高められたエネルギーとともに、音楽として弾圧者に投げつけているかのような印象さえ受ける。
しかし真に驚くべきは、この「痛みと憤り」の音楽が、攻撃的であると同時に、「美」を備えていることだ。まず何をおいても、ミルトンの生きる力にあふれた声。そしてうねりながら進む大波のようなストリングス、怒濤のように炸裂するドラム、不安をかきたてる不協和のオルガン、中空を舞い狂うサックス、その他諸々の運動する音の総体が、カオスと見せながら、実は調和美を形成している。
試みに、表題曲「魚たちの奇跡」を聴いてみよう。こんな不思議な和音進行の曲がかつてあっただろうか。こんな不規則な変拍子がありうるのだろうか。そして意味不明の歌詞、とても人間のものとは思われない裏声、それら狂的な要素どうしが有機的につながり合って、奇跡の音楽美を達成している。 また、このアルバムには、実はボサノヴァが一曲含まれている。数々のボサノヴァの名曲を生み出した名コンビ、カルロス・リラとヴィニシウスによる"Sabe voce"だ。「痛みと憤り」の心で歌われたこのボサノヴァが、実に素晴らしい。そこにはボサノヴァの心地よいスイングも、ソフトな囁きもない。あるのは、ミルトンの強烈な声、そして一語一語、屹立して聴くものの心に突き刺さる言葉だ。荒々しく屹立したボサノヴァが、こんなにも美しいとは。

時は流れ、ブラジルが民政を回復して、はや24年。日本の音楽同様、つまらない音楽が幅を利かせているのがブラジル音楽の現状である。もはや、ミルトンにもカエターノにも、往年の創造力や気力は感じられない。若い才能たちも然り。天才、秀才がいくらいても、70年代のような優れた作品は生まれない。しかし原因はアーチストの怠慢や堕落ではない。「闘う相手」の欠如である。皮肉なことだが、創造の自由を奪おうとする弾圧者が、または克服されるべき高い壁が存在しないと、アーチストの心は燃えないものなのだ。かといって、芸術振興のために、わざと平和を失うなんて馬鹿げている。先に書いたように、「真のアーチストは、時代との関わりを避けて創造活動を行うことはできない」のだ。歌うべきことがないのであれば、歌わない、のが正しい選択なのかもしれない。いや、歌われるべき未知の対象は実はあるが、現代のアーチストたちがまだそれに気がついていないだけなのか。「闘う音楽」の時代が完全に去り、また「ラブソング」の時代すら去ったかに見える今、来たるべき歌の形が、どこかで私達に発見されるのを待っているのだろうか。
その答えを探すために、まず私はこの「魚たちの奇跡 - ライブ」を聴き直すことにしよう。時代とアーチストとが生み出したこの熱い記録を聴きながら、私自身の、時代との関わり方を見つめ直すことから始めてみよう。

(PINDORAMA 2009年5月号より転載)

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