新・一枚のブラジル音楽~臼田道成




クリスチーナ・アズマ「ノ・パラースィオ・デ・ラ・ギターラ」
(Cristina Azuma "No Palacio de la Guitarra")

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1992年の、あれは秋であったろうか。当時僕はボサノヴァ以外に、繊細なブラジル器楽ショーロにもひかれていて、前年、その親近感あふれるあたたかい演奏に触れた、名バンドリン奏者エヴァンドロが再来日するというので、お茶の水のカザルス・ホールに足を運んだのだった。お目当てのエヴァンドロのグループの前座として、ある若いギタリストの演奏がプログラムされていた。正直言って、なんの期待もしていなかったのだ。サンパウロ出身の日系ハーフの女性ギタリスト。クラシック音楽だという。無名であった。
さて、演奏が始まった瞬間。そう、まさに瞬間だ、音楽が人の心をとらえるのは。彼女が弦をつま弾き始めたその刹那、僕は彼女の音に完全に魅了されてしまったのだった。なんという繊細で透明な、美しい音であろうか。バーデン・パウエルの激しく力強い男性的な音とは対極にある、この上なく優美で女性的な音。まるで平和で柔らかで澄んだそよ風が、僕の心を優しくなでて過ぎるかのようだった。彼女の美しさにひかれたことも否定できない。しかし、彼女の美しさも、彼女の音楽も、その美しい心が根底にある以上、彼女の美しさと音楽とは不可分のものだ。
すべての演奏曲目に魅了されたが、なかでもアルゼンチンのフォルクローレの巨匠アタウアルパ・ユパンキの"El Coyita(エル・コジータ)"の演奏に、僕の心は最も動かされた。彼女が舞台から去ったとき、僕はすでに彼女の大ファンになっていた。いや、「追っかけ」と言ってもよい。
事実、その数日後に行われた、日本での彼女の最後の演奏も聴きに行き、こともあろうに、休憩中の彼女の楽屋におしかけ、当時録音したばかりの、僕の拙い"Chega de saudade"、"Eu sei que vou te amar"の歌が入ったデモ・テープを、下手な英語で自己紹介しながら、そして彼女の演奏を絶賛しながら手渡したのだった。
さらに、であるが、彼女が「あなたはいつブラジルへ行くの?」と聞くから、逆に「そういうあなたは?(当時彼女はフランスの大学でバロック音楽の勉強をしていた)」と尋ねると、彼女は「今度の冬に」と答えた。僕は彼女に会いたいばかりに、思わず「そうですか、僕も冬に行く予定なんですよ」と言って、ほんとうに僕はその数ヶ月後にサンパウロで彼女と再会することになるのだ。「追っかけ」、いや、あれはもはや「恋」であったかも知れない。しかし、これだけは言えるが、僕の、彼女の音楽への思いと、彼女の美しさへの思いもまた、不可分のものだったのだ。才能への尊敬と、人間への愛情が一体となった思い、と言おうか。しかし、この一稿は僕とクリスチーナの物語を綴るものではないから、思い出話はこれくらいにしておこう。

さて、このCDであるが、1993年、彼女の二度目の来日時に茨城県の「ギター文化館」で録音されたものである。彼女の透明で繊細な音が、十分に良くとらえられた名盤である。先に「クラシック音楽」の演奏家であると紹介したが、それは学歴と演奏スタイルがクラシック系であるということにすぎず、実は彼女のレパートリーはブラジルのクラシックはもとより、ポピュラー音楽、民族音楽、ヨーロッパや中南米の現代音楽にいたる広範なものであり、このCDでもバーデン・パウエル、ジャコー・ド・バンドリン、バルトーク・・ああ、そしてこのアルバムを締めくくるのは、あの17年前の秋に僕の心を震わせた、ユパンキの"El Coyita" だ。

"No Palacio de la Guitarra"は皆さんに広く紹介したい「一枚のブラジル音楽」であるが、それと同時に、今僕が手にしているクリスチーナのサイン入りCDは「たった一枚の」ブラジル音楽。そして、こんな言い方は、使い古されて、気恥ずかしくもあるが、僕の青春の一枚、なのだ。


(PINDORAMA 2009年11月号より転載)

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