新・一枚のブラジル音楽~臼田道成




スタン・ゲッツ、ジョアン・ジルベルト「ゲッツ・ジルベルト」
(Stan Getz and Joao Gilberto "GETZ/GILBERTO")

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ボサノヴァを語るものにとって、避けては通れないレコードが二枚存在する。一枚は、ボサノヴァの創造者ジョアン・ジルベルトによる1958年のシングル盤「シェガ・ジ・サウダージ」、そして1963年のアルバム「ゲッツ・ジルベルト」だ。前者については、一昨年本誌8月号の拙稿で語ったので(CD「レジェンダリー」として)、さて残るは「ゲッツ・ジルベルト」だ。
なぜこの二枚がそんなに重要なのかといえば、それは前者がボサノヴァ誕生を告げる一枚であり、一方後者がボサノヴァの世界的普及の端緒たる一枚であったからである。

「ゲッツ・ジルベルト」。あのグラミー賞を5部門で受賞、収録曲「イパネマの娘」は今日まで世界で二番目に多く演奏される曲となり(トップはビートルズの「イエスタデイ」)、またジョアンの当時の夫人、素人歌手のアストラッド・ジルベルトを一挙にスターダムに押し上げた、化け物的アルバムだ。が、僕にとって、このアルバムがもっとも化け物的に見える側面は、二人の主役、ジャズ・サックスの巨匠スタン・ゲッツと、ジョアン・ジルベルトとの間の芸術的「不調和」である。そしてその「不調和」こそが、このアルバムの致命的欠点であるとともに、また魅力でもあるのだ。このアルバムについて語ることが避けて通れないなら、僕はその「不調和」について語るとしよう。

皆さんはグノー作曲の「アヴェ・マリア」という曲をご存知であろうか。バッハの「平均率クラヴィーア曲集第一巻第一番」を、こともあろうに「伴奏」にして、その上に旋律を付した曲である。バッハの極めて「思想」的芸術を、自己の「情緒」的芸術創造の材料として利用した、まさに愚挙であり、冒涜(ぼうとく)であるとさえ言えよう。スタン・ゲッツがこの「ゲッツ・ジルベルト」において行なったことが、実はそれであった、と僕は思っている。
ジョアン・ジルベルトのボサノヴァは、静寂との対話であり、音楽はこうあるべきだという、彼の思想の実践であり、人間的な喜びや悲しみを表現するたぐいの芸術ではない。考えてみれば、大衆歌曲のこのような演奏方法は、当時世界のどこにも存在していなかったであろうから、ゲッツが理解していなかったのも無理はないと言える。しかしジョアンは許さなかった。彼が、英語を話せる共演者ジョビンに「このグリンゴ(外人)に、おまえは大バカ野郎(muito burro)だと言ってくれ」と言うと、ジョアンより“おとな”のジョビンは、この暴言を「あなたと共演できて、たいへん光栄だと言っています」とゲッツに“翻訳”した話はつとに有名である。
この“muito burro”の意味するところは、つまり「おれの音楽がまったくわかってない」ということに尽きると思う。具体的に言えば、「なぜ、そうヴィブラートをつけたがるんだ」「なぜ、そう強弱の抑揚をつけるんだ」「なぜ、そうセンチメンタルなフレーズを吹くんだ」と、まあゲッツのやることなすことに腹を立てていたわけだろう。

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(Creed Taylor , Tom Jobim , Joao Gilberto , Stan Getz)

では、どうしてこんな不調和な組み合わせの二人が、こんな美しいアルバムを残せたのだろうか。グノーのアヴェ・マリアに話を戻せば、あれは愚挙の産物ではあっても、美しい旋律であることに間違いはないわけで、真に優れた作品(この場合バッハの曲)は、たとえ材料として利用されても、美しい別の作品を生み出す力を備えている、ということだろう。また、たとえ思想的な作品であっても、バッハの曲が、そしてジョアンの演奏芸術が、この「世界」や「宇宙」を扱っている以上、人間的感情の世界を、部分として当然包含しているわけで、わかりやすい言い方をすれば、彼らの芸術の「ふところの広さ」のおかげで、グノーもゲッツもごく自然に、美しい情緒的旋律を生み出せたのではないか。ジョアンが「大バカ野郎」と言わずにおれなかったのは、ジョアンという「人間」のふところの狭さのゆえであって、その「芸術」のふところとは何ら関係がない。実際、このアルバムでのゲッツのサックスは美しい。愚挙であっても、だ。単に即興的ソロの記録として片付けるには惜しい、心に刻まれる旋律だ。

リスナーの側からすれば、この相反する芸術家どうしの共演は、互いに寄り添わないだけ、かえってスリリングな魅力に満ちている。相反するからこそ、際立つ両者の音。耳の焦点をどちらに絞るかで、例えばジョアンのささやきとギターに耳を澄ませていれば、ゲッツの演奏が「うるさい!」し、ゲッツの躍動感のあるソロ演奏に聞き惚れていれば、ジョアンの演奏は「眠たい!」だろう。不調和のまま33分間、危うくぎりぎりのところで両者の美が共存している。

ボサノヴァをジャズの世界に巻き込んだ功罪を含め、この歴史的アルバムについて、永遠に議論は尽きないであろうが、異論を恐れずあえて言ってしまえば、この「ゲッツ・ジルベルト」が存在しなかったなら、今日の世界でのボサノヴァ人気はありえないだろうし、そして僕もこの素晴らしい音楽ボサノヴァに出会っていなかったかも知れない。ならば、感謝を込めて乾杯しようではないか、この愛すべき偉大な不調和アルバム「ゲッツ・ジルベルト」のために!

(PINDORAMA 2010年6月号より転載)

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