新・一枚のブラジル音楽~臼田道成




カエターノ・ヴェローゾ 「粋な男」
(Caetano Veloso "Fina Estampa")

jacket



いつかカエターノ・ヴェローゾのアルバムを取り上げなければと思いながら、ずいぶんと時が過ぎてしまった。僕の音楽人生に多大な影響を与えたアーチストの一人だが、彼の代表的「作品」とか「アルバム」を挙げよと言われると、これ、というのが見当たらない。なぜというに、彼のアーチストとしての本領は、断片的かつ詩的な表現「行為」そのものにあるのであって、結果としてできた構築的な産物(つまり作品やアルバム)からはその魅力が感じられにくい憾(うら)みがあるからである。
それでも今回、彼のオリジナル作品によるアルバムの最高峰、と僕が思っている "Livro(リーブロ)"について書こうと思い立ち、昨夜聞き直してみたのだが、どうも現在の僕の心に響かないので、書くのを断念。やはり、皆さんに紹介するからには、今も僕が心動かされるようなものでないといけない。 ということで、この一枚、「粋な男」。1994年に発表されたこのアルバムは、全曲スペイン語によるラテン名曲カバー集。偉大なシンガー・ソングライターであるカエターノの一枚として、カバーアルバムを選んだことに異論はあろうけれど、ここで聞かれるカエターノの歌唱のなんとみごとなこと。全15曲、あたかも彼のオリジナル曲であるかのように、歌いこなしている。

このアルバムが発表された翌年であったか、サックスの渡辺貞夫氏の招きで、カエターノはこのアルバムの編曲者でもあるチェロのジャキス・モレレンバウン他、数人のサポートミュージシャンを伴って来日、東京は六本木で一週間に渡りライブを行ったのであった。僕がカエターノの演奏を生で聴くのは初めてではなかったが、そのショーのみごとな構成、バンドの演奏の充実度、なによりカエターノの艶のある演唱に魅了されたのだった。
その日は、彼の名曲「サンパ」や「ヴォセ・エ・リンダ」も歌われたが、レパートリーの中心はこのアルバムからのもので、衣装もこのアルバム・ジャケット同様、シックなスーツ姿できめて、彼独特の軽妙な踊りを交え、文字通り「粋な男」の演出であった。
初めてカエターノの音楽を聴くという僕の連れが、ショーの途中、急に僕の方を振り向き、興奮気味に、そして嬉しそうに「おい臼田、おまえも、まだまだだな!」と言ったのを覚えている。すかさず僕も興奮気味に「当たり前でしょう!」と返したものだ。苛立たしさでも悔しさでもない、素直な賞賛として僕は答えたのだ。まさにあの瞬間、そしてあの頃のカエターノは、彼の音楽人生のauge(絶頂)にいたと思う。自分の作品を歌おうが、他人の作品を歌おうが、そこにいる人々、聞く人々すべての心を、音楽のもつ美しさと喜びで満たしてしまう、そんな圧倒的な力がみなぎっていた。ステージ上の彼が発していた、あれこそが、真のアーチストのオーラというものだ、と今でも思う。
ショーが終わり、舞台袖に下がろうとするカエターノ達の前に突如渡辺貞夫氏がサックスを手に現れ、「彼は70年代から、いつか日本に呼びたいと僕が思っていたアーチストです。この曲を彼に捧げたい」と前置きして、ジョビンの"Por toda a minha vida"を感謝の心をこめて演奏したハプニングは、僕が見て来た多くのライブの中でも最も美しいシーンのひとつとして思い出される。
話が、アルバムからショーへとそれてしまったが、このアルバム「粋な男」には、このショーの素晴らしさを追体験するに十分な美しさ、力があると、今聴き直して確認した次第である。

もうひとつ書き忘れてならないのは、このアルバムでキャリアの頂点に達したカエターノの、当時の最高の音楽パートナーであったチェリスト、編曲家のジャキス・モレレンバウンの仕事についてである。
ジャキスは当時50代前半のカエターノというアーチストの「円熟」を、みごとに編曲において演出して見せている。思うにカエターノという芸術家は、裸身のダンサーみたいな人で、歌い踊る自分に酔い、その自分を他人の目にさらすことの好きな人だが、一般大衆は必ずしも彼の裸身(のような芸術)を見て、心地よいとは思わないもので、ジャキスは、そのむき出しのダンサーに美しい音の衣装をまとわせて、一般の人々が安心して鑑賞できるように演出した、と言えばわかりやすいだろうか。実際、このアルバムでカエターノは、多くの新しいリスナーを獲得したはずだと思う。
この「粋な男」で花開いた、カエターノとジャキスの見事なコラボレーションが、次のオリジナル・アルバム"Livro"において、まさに結実することになるのである。今回は書くことを断念したが、このアルバムについてもいずれ書かねばならないだろう。なにせカエターノの「サージェント・ペッパーズ」なのだから。

カエターノ・ヴェローゾ。ブラジル音楽の前衛を走り続けて来たこの偉大なアーチストも、もはや68の齢を重ねた。私見によれば、彼の創作活動は"Livro"を最後に、力を失い、風貌もまるで「良識」ある文化人のそれのようになってしまったが、今一度、美しく狂おしい音楽の花を咲かせてくれないものだろうか。あのむき出しの、裸身のダンサーのようなカエターノは、いったいどこへ行ってしまったのか。名士の集いを避け、時代におもねることなく、自分の芸術を地道に追究するという、アーチストの本道を行けば、まだ大丈夫。復活できるはず。頑張れ、カエターノ。僕をもう一度ファンにしてみせてくれ!


サージェント・ペッパーズ:ビートルズの残した名アルバム。正しくは「サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド」

(PINDORAMA 2010年9月号より転載)

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