新・一枚のブラジル音楽〜臼田道成




ミルトン・バナナ・トリオ 「ミルトン・バナナ・トリオ」
(Milton Banana Trio "Milton Banana Trio")

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今から5年ほど前のこと、「やあミチナーリ、今誰と一緒にいると思う。ブラジル最高のピアニスト、ヴァンデルレイだよ。ここに来ないか」と電話で誘ってくれたのは、その数日前にコパカバーナのバーBipBipで偶然知り合ったオターヴィオ氏、かのジョアン・ジルベルトのマネージャーである。 早速待ち合わせのホテルのロビーまで足を運ぶと、小柄で色白の、顔には悩み深そうな皺をたくさん刻んだヴァンデルレイ氏が紹介された。が、失礼ながら、僕はこの「ブラジル最高のピアニスト」を存じ上げていなかった。あのRei(王様)と国民から呼ばれる歌手ロベルト・カルロスの40年以上に渡る専属ピアニストだという。ううむ、僕はそちらの方面の音楽には疎いからなあ・・。しかし、さらに遡ると、あのボサノヴァの名トリオ、ミルトン・バナナ・トリオの初代ピアニストでもあったともいう。なるほど、それでオターヴィオ氏とつながりがあるのか。しかし、ヴァンデルレイが住むのはサンパウロ。僕はリオに住んでいたから、その後は話すこともなく時は流れて行った。

その出会いから一年ほどたったころだろうか、僕はたまたまサンパウロに滞在して、イピランガ大通りとサン・ジョアン大通りの交差点あたり(カエターノの名曲“Sampa”の舞台である)をぶらぶらしていたら、向こうから猫背で歩いて来る小柄な初老の男、おお、ヴァンデルレイ氏ではないか。いきなり近づくと、一瞬たじろいだ彼だが、「セニョール・ヴァンデルレイ、日本人歌手のミチナーリですよ!」というと、「おお、おまえか。時間あるか。一緒に友人のライブを聞きに行かないか」というような具合に、偶然に偶然が重なって、僕らの交流は始まっていった。その親交は、2008年に完成した僕のアルバム「トロバドール」で聞くことのできる、彼の素晴らしいピアノ演奏に結実してゆく。

アントニオ・ヴァンデルレイ。御年69。8歳のときからサンフォーナ(アコーディオン)に親しみ、アマチュアギタリストであった父親とバイアォンやボレロを演奏していたという。その後プロの演奏家となり、20歳の頃、ナイトクラブでサンフォーナ弾きとして働いていた際、ディック・ファルネィ(ボサノヴァの誕生に大きな影響を与えた人物)らのモダンなピアノ演奏を遠くから眺めて興味を抱き、ショーのない時間を見計らってナイトクラブのピアノを「いじりだした」という。つまり、先生も無し、楽譜も無しでピアノを独学したわけだ。ピアノを独学することの難しさがギターの比でないことは、使用する指の数を比べるだけでも瞭然である。しかし驚くべきことに、その2年後には、ボサノヴァ随一の名ドラマー、ミルトン・バナナに「おまえは俺と一緒に録音するんだ」と誘われ、今回紹介する、このアルバムのレコーディングへと至るわけである。

「おれたちは、奇跡を行なっていたんだ!」とは、このアルバムの録音に関してのヴァンデルレィの弁。楽譜も無し、リハーサルも無し。プロデューサーから、12曲の曲名を聞かされ、ミルトン・バナナはドラムについては天才的だが、編曲はできなかったということで、弱冠23歳の新進ピアニスト、ヴァンデルレィが、斬新なアレンジをその場でほどこし、3人の間で事前に行われたのは、「打ち合わせ」のみ。そして「いっせいの、せっ!」で録音開始。 その結果は、言うまでもない。このCDを聞けばわかることだ。キラキラと輝く音色で若々しく跳躍するヴァンデルレイのピアノ、スリリングなアレンジ、一糸乱れぬ3人のアンサンブル。彼らはその後も何枚かのアルバムを録音しているが、「俺たちトリオによってなされたことは、この最初のアルバムでもはや、すべてなされている」と彼は言う。つまり、この最初のアルバムこそ、このトリオのエッセンスであり、残りのアルバムはcomplemento(補完的)なものに過ぎないと。

その後ミルトン・バナナ・トリオを辞したヴァンデルレイは、ボサノヴァの表舞台から去り、現在まで40年以上にも渡って「王様」ロベルト・カルロスの横で白いピアノを弾き続けてきたわけだが、彼はこうはっきり言い切る。「俺の魂(alma)はロベルト・カルロスじゃない。ボサノヴァだ。俺はボサノヴァ人(bossa novista)なんだ」と。
「20世紀最高の音楽家」と彼が尊敬してやまないジョアン・ジルベルトとは、ミルトン・バナナを介して1962年に知り合い、1973年にニューヨークで偶然再会して以来友情を育んだというが、そのジョアンから「おまえのピアノは、あの川面を飛び跳ねる小石のようだな」と言われたという。そして「どんな批評家の褒め言葉より、おれにはあのジョアンの言葉が嬉しいんだ」と無邪気に、誇らしげに語るヴァンデルレイである。

さて、最初のオターヴィオ氏の言葉に戻ろう。「ブラジル最高のピアニスト」。実際、誰がブラジル最高のピアニストであるかは、評価する人によって異なるだろう。しかし、ヴァンデルレイは言う。「今日、もはやピアニストはいない」。続けて「いるのはキーボーディスト(tecladista)だけだ」と。そうかもしれない。文学でも昨今は原稿用紙に万年筆で執筆する作家が珍しくなったように、音楽でもピアノの鍵盤だけにこだわって演奏する“pianista”はもはや、過去の遺物になろうとしているのかも知れない。そしてヴァンデルレイは、いわば20世紀の、そしてボサノヴァの、無頼派ピアニストの最後の生き残りなのかも知れない。皺だらけの顔をさらに悩み深く皺くちゃに刻みながら、その小さな手で奏でるピアノの音は、そうだ、これがピアノの音というものだ。キラキラと輝いて、透明で美しい、純粋な音色。そしてその音楽は無邪気に、そして誇らしげに歌っている、“Eu sou o último pianista de bossa nova.(おれは最後のボサノヴァのピアノ弾き)”と。

Wanderley



(PINDORAMA 2011年3月号より転載)

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