新・一枚のブラジル音楽〜臼田道成




カルトーラ "Cartola"(第一集、第二集)


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歌手にはそれぞれ、歌いたくてしかたないのだが、自分には上手く歌えない曲、逆に、さほど好きでもないのだが、やすやすと歌えてしまう曲、というのがあると思う。その歌手の持つ歌唱技術や、声の性質が、好みの曲と常に一致するわけではないのだ。
僕の場合? もちろん、ある。例えば、ボサノヴァの名曲“Insensatez”。難しい・・。声の強弱表現やヴィブラートが身上の歌手臼田道成にとって、平坦に、しかも美しく歌わなければならないというのは、なんと難しいことか。しかし、歌手と曲の間に立ちはだかる壁は、そうした「素質」や「技術」によるものばかりでない。人としての「成熟」が問題となる壁もあるのだ。

さて、ここに「人生は風車 (O mundo é um moinho)」という曲がある。僕が二十代の始め頃に出会って、その出会いの瞬間から三十年近くたった今日に至るまで、人生最愛の曲であり続けている。と同時に、いまだにステージで歌う準備のできていない曲、でもある。
作者はサンバの巨匠、故カルトーラ。ブラジル音楽の愛好家には、今さら説明を要さないであろう。あのエスコーラ・ジ・サンバの名門マンゲイラの創立メンバーにして音楽監督、後にボサノヴァ人達にも影響を与えることになる数々の名曲を残した偉大なソングライターでもあった。アーチストとしては、決して順風とは言えない長い年月を経て、なんと六十代の後半にして初めてのアルバムを録音、発表した。それが今回ご紹介する、この一枚、いや、この「二枚」、すなわち74年制作の第一集と76年制作の第二集である。「人生は風車」はこの後者に収録されている(「人生は風車」以外にも、この二枚のアルバムにはきら星のような名曲が揃っている)。

そもそも僕がこの曲と出会ったのは、音楽評論家竹村淳さんのラジオ番組であった。それ以前から、この曲が素晴らしいという評判は目にしていた。しかし、当時このアルバム(LP盤)は本国ブラジルですら廃盤の憂き目にあっていたのだから、どうしようもない。まさに「埋もれた宝」であった。僕はラジオでのオンエアーをひたすら待つしかなかったのだ。そして待ちに待った「人生は風車」との出会いの瞬間。音楽と僕は向かい合った。時間は止まった。あの瞬間だ、僕の「人生の一曲」が決まったのは。曲が鳴り終わっても、僕の体は動かなかった。いや、動けなかった。感動の中で。思えば、人生の中で感動を与えてくれた音楽は、皆さん同様、僕にも数多くあるけれど、しかし出会いから三十年近くたった今でも、かなたで燦然と変わらぬ光を放ち続ける曲というのは、僕にとってはこの「人生は風車」を置いて他にないのである。
しかし、なぜ「かなた」なのか? 確かに、この曲には厳しい孤高の美しさがあるが、それだけではない。この曲が、言ってみれば歌手臼田道成を近づけないからだ。いや、近づけない、という表現は適切ではないかも知れない。この曲は、すべての歌手に向けてその扉を開いている。が、ある条件を備えた者しか入ることがかなわない、そんな扉だ。その「条件」とはなんだろう。
ここで、「人生は風車」の歌詞を紹介しよう。拙訳ではあるが。

「人生は風車」

君、まだ早いよ
君は人生をようやく知り始めたばかり
それなのにもう旅立つと言う
どちらへ向かって行くかも知らずに

気をつけるんだ、いとしい人よ
君の決心が固いことは知っているけれど
角を曲がるたびに、君の人生は少しずつ落ちてゆく
そしてじきに今の君ではなくなっているのだ

君、よく聞くんだ
いいかい、この世は風車のようなものだ
君のささやかな夢をみな挽(ひ)いて
その幻想を粉みじんにしてしまう

気をつけるんだ、いとしい人よ
一つ一つの愛の後に君が相続するのは冷笑だけ
そして気がつけば、地獄の谷の崖っぷちにいるのだ
自らの足で掘った地獄の谷の

どうだろう。実に厳しい詞ではないか。現実を見よ、と説く詞だ。この、説く者(歌い手)は、現実を身にしみて経験した者でなければならないか? いや、現実どころか、人生の「地獄」を味わった者でなければならないか? お前は味わったか? そう自問する。
しかし、演者は経験したことしか歌ってはならない、演じてはならない、というなら、役者の仕事はなくなる。やくざをしたことがなければ、やくざを演じることができないなんて話はない。どうも問題はそこにはないようだ。
実は、この作品(作者カルトーラの声による録音物としての作品)の素晴らしさは、夢を粉みじんにする厳しい「現実」が、カルトーラの「限りなく人間的な優しさに溢れた声」によって歌われた時に、この上ない「慈悲」に満ちた楽曲へと変貌した、そこにあるのだ。そこにこそ、あの日の僕の感動の秘密があるのだと思う。然り。作品は、演奏されて初めて楽曲として完成するのだから。

「人生の地獄」を「溢れるような優しさ」で、さらっと歌えるその日が来た時、僕はごく自然に、この歌をステージで歌うようになるだろう。そのときはいつか。あと十年か、二十年か・・
しかし考えてみれば、自分には歌いたくても、まだ歌えない曲があるなんて、幸せなことかも知れないな。歌手は「生(なま)もの」だ。生身の肉体と精神が、楽器。この僕という楽器が、いつかこの曲を歌えるようになるという希望こそが、僕を未来へと引っ張ってゆくのだから。

最後に、1989年に日本でこの幻のアルバムを復刻するため尽力なさった竹村淳さんが、その復刻版CDのライナーの冒頭に書かれた言葉を引用しておきたい。

「世の中に傑作、名盤とよばれるアルバムは数多いが、このアルバムはブラジル・ポピュラー音楽界が生んだ史上最高の傑作アルバムであり、永遠に聴き継がれるべき名盤だと断言したい」

その通り! ここにも、同じことを断言したい者がいます。そして、この場を借りて、竹村さんに感謝の意を表したいと思います。この曲を思い出すことは、素晴らしい作品を人々に紹介する仕事の大切さを思い出すことでもあります。この僕の拙稿が、竹村さんが僕に紹介して下さったのと同じように、読者のどなたかへの有意義な紹介であって欲しいと切に願います。竹村さん、ありがとうございました。そして、カルトーラへ、永遠のObrigado!!



(PINDORAMA 2013年3月号より転載)

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