bossa_nova



MICHINARIのボサノヴァと私
第八回 サンバの小さな殿堂”Bip-Bip”とホーダ・ヂ・ボッサ



 コパカバーナに”Bip-Bip(ビッピ・ビッピ)”というバールがある。実に小さな空間で、それこそ「六畳間」というようなものである。狭いし、店内は暑いから、ほとんどの客は歩道に椅子を出して飲んでいる。変わったバールで、まず缶ビールがたった二種類、あとはワイン一種類とカシャーサなどの蒸留酒(これは多種あり)、あとは水があるのみ。清涼飲料水は置いてない。そして食べ物も基本的に、ない。さらに、給仕するガルソンがいないから、客自身が冷蔵庫に手を突っ込んで飲みたいものを勝手に取る。取ったら、大ひげをたくわえた名物店長アルフレードに「取ったよ」と自己申告するのだ。つまり「サービスとメニューに乏しいバール」である。では、私臼田は、なぜここに二年以上も通い続けてきたのか。それは、ここに古き良きリオの音楽が「生きて」いるからである。

 一昨年の八月、ある女性歌手から「毎週水曜日にBip-Bipで、ボサノヴァ好きが集まって演奏してる」という話を聞いて、当時僕がギターを教えていた日本人青年を伴って、おそるおそる見物に行ってみたところ、おおほんとだ、やってる、ボサノヴァだ、珍しい!。前々号で書いたように、ボサノヴァはリオではほぼ「死んで」いるから、とにかく珍しいものを発見した、という感じであった。テーブルを囲んで、カリオカ数人がボサノヴァを、こともあろうに「合唱」していたのである。誰に聞かせるでもない、本人達が楽しむ、いわゆる「ホーダ (輪になっての演奏)」である。静かにわきで聞いていたら、誰かが僕の生徒にむかって「君も何か演奏しなさい」と言った。すると彼はすかさず僕を指差し、「いえ、僕でなく、この人が演奏できます!」と言ったのだが、まさにこのとき、僕のBip-Bip演奏「修行」が始まったのであった。

 実は昨日、ある友人に誘われて、珍しく水曜日以外にBip-Bipに行って”ホーダ・ヂ・サンバ(サンバの輪)”を見たのだが、なにか妙な感じがした。純粋に、飲んで、聴くだけの「客」としてBip-Bipにいたことは、この二年の間、ほとんどなかったから。「ああ、こんなにお客は楽しく聴いていたのか」と、新鮮な驚きであった。ある新聞がBip-Bipを扱った記事に”reduto carioca(リオの隠れ家)”と見出しを付けていたけれど、まさに、Bip-Bipはリオ音楽の隠れ家だなと思った。特に渋いサンバを楽しむための雰囲気は満点。ゆるーい感じでビールを飲みながら、そんな感慨にふけった。二年以上もの間、毎週水曜日に通ってきた、ということは、合計百回以上通って、演奏してきた、ということである。にもかかわらず、昨日のように「のんき」にBip-Bipを楽しんだことはなかった。そう、まさに、Bip-Bipは僕にとって、「修行」の場であったのである。

 すでに二十年近く日本でブラジル音楽を演奏してはいたが、ブラジル人の前で自分の演奏を披露するという経験をほとんど積んでいなかった僕にとって、Bip-Bipで毎週カリオカ達と共に好きなボサノヴァを演奏できる、そして、お客さん達にも聞いてもらえるということは、かなり興奮を覚える「事件」であった。それがお金をもらえる「仕事」であるかどうかは、当時の僕にとってはどうでもいいことであった。水曜となれば、雨の日も、風の日も、ギターをかついでBip-Bipへ。夜の九時から一時近くまで、ノンストップでボサノヴァを次から次へと、弾き歌いっぱなしである。なにせ、マイクもアンプもない、おまけに響かない空間だから、みんなに聞こえるように、通常ボサノヴァを演奏するボリュームの数倍の声量、ギターも爪がすり減るくらい強く、低音を弾く親指などは、もう翌日は痛くて使い物にならないくらい強く弾かねばならない。夏には、店内はもうサウナ状態だから、汗だくでギターを弾いて、これはもう音楽なんだか、スポーツなんだかわからないというような心境になる。
 実際、現在リオで唯一と言っていい、ボサノヴァの「避難所」Bip-Bipであり、僕としてはボサノヴァの伝統の灯を絶やさないためにも、通い続けてきたわけだが、なんといってもこの喧噪のボチキン(居酒屋)で、酷暑の中、みんなで合唱、というのはサンバのスタイルであることは否めない。今「避難所」と書いたが、実はこのBip-Bipは、十数年の歴史を持つ毎日曜日の”ホーダ・ヂ・サンバ”で有名なのであり、店長アルフレードも、有名無名を問わず、多くのサンビスタと親交が深いことを考えれば、三年前に始まったこの”ホーダ・ヂ・ボッサ(ボサノヴァの輪)”などは、言ってみれば、「サンバの軒下に避難させてもらっているボサノヴァの姿」という印象は拭えないのである。が、たとえ避難所でも、毎週水曜日にボサノヴァがこの六畳間に「生きて」いることは事実である。およそ、ジョアンとジョビンの編み出した「静寂と瞑想のボサノヴァ」とは無縁の、「bagunca(騒然)のボサノヴァ」ではあるが、ぜいたくは言っていられない。ボサノヴァの灯は守らねばならないのだ。気が付いてみれば、Bip-Bip店内の片隅に、 我らが”ホーダ・ヂ・ボッサ”の写真が飾られて、その中央には演奏する僕の姿があるではないか。  ただひたすら、文字通り脇目もふらずに、大汗をかきながらギターを弾き続けてきた僕だが、どうやらこの”リオの隠れ家”の住人として認められてしまったことだけは確かなようである。そしてもう一つ、現在の僕のギターと声とが、Bip-Bipで僕が得たものを語っていると思う。技術の向上は言うに及ばず、それよりもっとだいじなもの、ステージをこなしているだけでは得られない何か、民衆の音楽の「根」のようなものを、この”samba de raiz(根本のサンバ)”の小さな殿堂の軒下で学んだ気がしている。





Bip-Bip:
Rua Almirante Goncalves 50, Copacabana tel.21-2267-9696
日曜はサンバ、火曜はショーロ、水曜はボサノヴァの、それぞれホーダが行われる。

カシャーサ:
俗称ピンガ。さとうきびの焼酎。

こともあろうに「合唱」:
ボサノヴァは基本的に独唱音楽である。

ホーダ(roda):
プロ、アマ問わず、自由に参加できる音楽の集い。客席に向かってのショーの形式でなく、演奏者達みずからが楽しむための形式。

samba de raiz:
"raiz"は「根」の意。

(Pindorama 2007年1月号より転載)







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