bossa_nova



MICHINARIのボサノヴァと私
第九回 カーニバルとボサノヴァ



 今月はカーニバルの月、ということで、難しいテーマだが、ボサノヴァとカーニバルの関係について考えてみようと思う。今まで、僕がここに書いてきた文章を読んでくださった方なら、いかにこの二つを結びつけるのが難しいか、もうおわかりかと思う。静寂と瞑想の音楽ボサノヴァと、激しく燃え尽きようとするカーニバル。さて、どうしたものか・・


 
  A felicidade(フェリシダーヂ「幸せ」)

悲しみに終わりはなく
幸せには終わりがある

幸せは、花びらにやどる夜露のしずくのようなもの
ささやかな揺れに、静かに輝き、
そして愛の涙のように落ちてしまう

貧しきものの幸せは
カーニバルの大きな幻影のよう
人々は夢の一瞬のために一年中働き続ける
王様や海賊や、女庭師の仮装をこしらえるために
そしてそのすべてが水曜日には終わってしまう

悲しみに終わりはなく
幸せには終わりがある

 言わずと知れた、作曲家ジョビンと詩人ヴィニシウスのコンビによるボサノヴァの一大名曲「フェリシダーヂ」。もともと、ギリシャ神話をリオのカーニバルに舞台を移して描かれた、悲劇「コンセイサゥンのオルフェウ」上演のために作曲されたものである。だからカーニバルが歌詞に出てきても別に不思議はないのだが、僕にはこの詞が、ボサノヴァとカーニバルの関係について解く鍵になるように思われるのだ。
 一読してわかるように、この詞のいのちとなっているのは「幸せには終わりがある」という、ものの「はかなさ」に対する感覚であるが、うつろいゆく自然の情緒と結びついた微妙な感覚が、歌のインスピレーションとなるような国で育ってきた僕には、このブラジルの、ただひたすら強烈な太陽や、心に響かないたそがれや、「そぼ」降ったりしない雨、紅葉も落葉もしない樹木などに、そのような「もののあわれ」的詩情を感じることができず、「それなのになぜ、ブラジル人は、『もののあわれ』を感じさせるようなボサノヴァを作れたのだろう」と、いつも不思議な思いであった。自然の中に「もののあわれ」を感じられないならば、作曲者達にこの「もののあわれ」をインスパイアしたものはいったい何だろうか?それは他でもない、「人間」である。

 ブラジル人は実によく「サウダーヂ」という言葉を口にする。愛する人に、友に、会いたいという「あこがれ」の気持ち、である。おとなでも、まるで子供のように、この会えない寂しさをおもてに現わし、そして会えたときは子供のように喜び合う。その会いたい思いが強ければ強いほど、会えない寂しさは強く、また会えたときの喜びも大きいことは言うまでもない。
 この「サウダーヂ」は、カーニバルを待ちこがれる人々の心にもやはりあって、この「フェリシダーヂ」でも歌われるように、一年をその「あこがれ」の中で過ごすわけだ。我々日本人が、子供のときこそ持っているが、成長にともなって失ってしまう、あの無邪気な「あこがれ」の念を、ブラジル人は、おとなになっても保ちつづけている。そして、歌い、踊り、楽しむときも、やはり子供のよう。「サウダーヂ」が強ければ強いほど、カーニバルは燃え上がり、そして、それが終わったときの心の空虚もまた大きい。
 つまり、ブラジル人の心性の特徴を一言で言うならば、「天然」ということだ。人為が加えられていない。泣いたり、笑ったり、怒ったり、彼らの感情生活はもう忙しいこと、このうえない。種々の感情を色分けして、ブラジル人の心を絵に描いたとしたら、どんなにか彩り豊かなものになるであろう。生活に疲れた現代の日本人のように、「今日と同じような明日が待っているだけ」なんて冷めた構え方をしているブラジル人には、いまだ会ったことがない。彼らには毎日が新しい。芸術家にとっては、このブラジル人の色彩とトーンの変化に富んだ「心」こそが古来、詩の、音楽の源泉であったろうと思う。そして、その心の核に「サウダーヂ」があるのは間違いない。

 一年待ち続けた「サウダーヂ」が、カーニバルを燃え上がらせ、みずからも燃え尽きようとする。が、ボサノヴァはそこにはまだ見つからない。カーニバルもサウダーヂも燃え尽きて、すべてが「灰」と化する水曜日。そこに初めてボサノヴァは生まれる。燃え尽きた自らの「灰」を静かに見つめるブラジル人の心に、ボサノヴァは生まれた。ボサノヴァは、すべては「終わってしまう」ことを知った者の心に生まれたのだ。その心には、無邪気なサウダーヂの持ち主であるブラジル人の心と、「灰」を冷静に観照できる知性とが同居している。サウダーヂだけでもボサノヴァは作れず、知性だけでも作れない。その両方を備えて、初めてボサノヴァを作ることができるのだ。作曲家ジョビンが、詩人ヴィニシウスが、そして彼らの作品を歌ったジョアンが、そうした資質を備えていたことは言うまでもない。3人とも、とてつもなく無邪気で、またとてつもなく知的であったろうと思う。
 カーニバル、サウダーヂ、灰、知性、そしてボサノヴァ。なるほど、予想どおり難しかったが、なんとかつながったかな。なんか、お題ちょうだい式の落語みたいだけれど。





水曜日には終わってしまう:
カーニバルは通常水曜日の明け方に終了する。そしてこの水曜日は「灰の水曜日」と言われる。

ヴィニシウス・ヂ・モラエス(1913〜1980):
ボサノヴァ最大の作詞家、詩人。ジョビン、カルロス・リラ、バーデン・パウエル、トッキーニョなど、様々な作曲家とコンビを組み、ボサノヴァの名曲を数多く残した。

「コンセイサゥンのオルフェウ」:
この戯曲は、その後「黒いオルフェ(1959年)」「オルフェ(1999年)」などに映画化され、それらの中でもこの「フェリシダーヂ」がテーマ曲として使われている。

灰:
ここでは、文学的な比喩として使ってしまったが、本来はカーニバル後の水曜日、カトリックの典礼で棗椰子(なつめやし)または棕櫚(しゅろ)の枝を燃やしてできる灰のことを指しているらしい。



(Pindorama 2007年2月号より転載)







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