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「世界中を青い空が」こぼれ話



1.嘆きの星 〜手塚治虫「火の鳥」へのオマージュ〜

これよりアルバム「世界中を青い空が」から一曲ずつ、ご紹介してまいります。

まずは、アルバム冒頭の曲。アルバムの中でも最も「臼田道成らしくない」と言われそうな(笑)、ポップな感じの曲。しかし、これは僕のイタリアン・ポップス(特にMatia Bazar)への永年の愛から生まれた曲であり、そして詞は、永年に渡って繰り返し愛読し、また影響を強く受けてきた手塚治虫および「火の鳥」への敬意と感謝を込めて書いたもの。
このアルバム制作にあたっては、多くの「壁」「難所」があったが、最後の壁は、「手塚治虫」という名前をサブタイトルに使ったことに「許諾」の問題があるのでは、とある筋から疑念を呈されて、そう言われてみれば、故人である手塚治虫氏が、もし「我が名を冠した作品を許してはならぬ」などと言い遺しておられたならば、アウトではないか、と2000枚納品の前日までヒヤヒヤしながら、手塚プロダクションからの返事を待ち続けて、鳴った電話・・。
「問題ありません。歌詞も拝見しましたが、表現の自由の範囲内です。許諾は必要ありません。」との快い返事。やった!さすが手塚治虫の遺志をつぐ手塚プロ。
というわけで、思い切り紹介しよう。
「嘆きの星 〜手塚治虫「火の鳥」へのオマージュ〜」

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2.波と二人の唄

1曲目の「嘆きの星」同様、曲はずいぶん昔に作ってお蔵入りになっていたもので、昨年アルバムに入れるために作詞をした。しかし、曲(メロディ)ができる時というのは、実はもう歌詞で描かれるべき世界というのはすでに見えているものであって、また部分的に曲と詞が一体となって生まれてくることもある。この曲のイントロの最後、「波と二人の、うた〜♫」もそう。
そして、この曲はアルバムの中で、どうしても「嘆きの星」の次に配置したかった。地球の危機と、その対極にある全き平和と愛の世界。実はこの歌、昔観たブルース・ウィリス主演の"12 monkeys"にインスパイアされたものでもある。荒廃した世界のその向こう側にある平和、というところか。夢の世界、である。なので、できすぎているとも言える「愛と平和の世界」にしたかった。
ちなみにマサ池田君は、イントロには本物の波の音を、と譲らなかった(笑)。そして「思い切りロマンチックにしたい」という意図でアレンジしてくれたとか。正解でした。僕は「できすぎている」世界にしたかったのだから。

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3.メロスの夢

そう、誰だって知っている、あの太宰治「走れメロス」のメロスです。多くの昔の若者同様、僕も高校から浪人、医学部時代にかけて、太宰治にのめり込んでいました。ただ、よく言われる「麻疹(はしか)のようなもの」という症状でもなく、もっと奥深いところで影響を受けてしまっていたと思います。旧仮名遣いで書かれている真新しい全集を買って、その印刷の匂いと共に、太宰の精神を吸い込んでいたのを今でも思い出します。そして20代後半、すでに熱心な読者ではなくなっていた臼田が、たくさんのものをくれた太宰治への感謝と敬意を表して作った曲がこれ。僕にとって、太宰は苦悩の人ではあったが、それよりもさらに「生きようとした人」であった。
ここで美しいハーモニカを聴かせてくれる星山剛さん、信州のストーブ職人です。思えばこのアルバムのレコーディングは、昨年11月4日、信州の山中で、このハーモニカの録音から始まったのでした。

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4.ある晴れた日の子供は

今年の初めだったか、ライブで共演したパーカッションの石川智君に「この曲の子供は、臼田さん自身?」と聞かれた。答えはNo。僕は学び舎を抜け出すような子供ではなかった(笑)。
しかし、「ある悲しみを心に秘め」た子供ではあったように思う。現実から逃げ出したかったなぁ。だからこの子供の気持ちはよくわかる。そして歌詞後半の「風を切り、風になる、微笑みながら」ここに今の自分にも生きている子供の心があるような気がするのだ。そうか、子供のことを歌いながら、大人の心をも歌っていたのかも知れないな。 そもそもなんでこんな歌を作ったのか、て?
それはいきなり「ある〜晴れた日の〜子供は〜♫」と冒頭の詞と曲が一緒に生まれてしまったからですよ。一緒に生まれてきたものは、絶対に!生かすと決めている。しかし、その後、子供の「小さな旅」をどう描くかは、なかなか難物だった。それに「ある〜」の2音のメロデイにハマる日本語なんて、限られている。「ああ」「もう」「いま」「でも」「ただ」 etc. ええぃ、面倒な。ならば8箇所全て「ある」で統一してしまえ!と、かなり意欲的な、いや、挑戦的な作詞を行なったのであった。

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5.夢そのままで

今回のアルバムには古い曲が多いが、その存在すら忘れていたというのは、この曲だけだった。まさに引き出しの奥でひっそりと眠り続けていた曲。
数年前、「なんだこれは?」と「ラララ〜♫」と歌詞のない、ギターとピアノとパーカッションの簡素なアレンジを自ら施した音源を聴くや、涙が頬を伝った。お恥ずかしい話だが、その存在すら忘れていた自らの曲に「再会」し、感動してしまったのだ。しかし、思えばこの曲を作り終えた頃に、私臼田はシンガーソングライターであることを、あきらめたのだった。そして、ボサノヴァ演奏に専念することになった。なぜ、あきらめたのか。作曲の苦しみが耐え難くなったからと記憶している。徹夜でピアノの前で頑張り、日が昇ると、今夜もまたできなかったかという落胆の中、ウイスキーを流し込んで、グラスを手にしたまま眠りに落ちる・・というような生活を続け、このままでは早死にするだろうと確信した。同時に、「十曲作る間に、おれは千曲歌えるだろう」とも確信した。不器用な作曲家として頑張って死を急ぐより、生きてたくさんの曲を歌っていこう、そして自分も幸せになり、ひとも幸せにしてゆこう、と思ったのだ。
しかし長い時を経て、この曲を「発見」した驚きと感動は、ボサノヴァ演奏とは別に、再び創作の道へ戻るための、大きなきっかけとなった。
奇しくも、昨年つけた歌詞には「悔し涙に夜を駆けながら、君は大切なその夢を握りしめ、捨てようとした♫」と歌っている。まるで、あの頃の自分のようではないか。が、もちろん、そんな懐古の念は毛頭ない。この歌は、まさに今、苦難の道を行くひとへ向けて送る、臼田としては、初めてと言っていい「励ましの歌」である。僕は昔から、無責任な励ましの歌は、決して書くまい、歌うまいと思ってきた。が、50の齢を越した今、ごく自然にそれができるようになってきたのだ。
このアルバムは、タイトル曲「世界中を青い空が」を世に出すために制作されたと言っても過言ではないが、しかし、この「夢そのままで」、負けていないな。頑張れ、「夢そのままで」。そして静かに光れ、アルバムの中で。聴く人の心の中で。

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6.My Bright Night

僕は「ボサノヴァ演奏家」である。というか、「音楽家と言っても、あなたの専門は何ですか?」と問われれば「ボサノヴァです」という習わしである。なのに、である。この新譜の全13曲のうちボサノヴァと呼べそうなものは、この6曲めの"My Bright Night"一曲である。あと「ルドンの蝶」に部分的にボサノヴァのリズムが使われているのみ。ボサノヴァ演奏家の看板返上かと疑われても仕方がない。しかも、その唯一のボサノヴァ曲が、真正ボサノヴァではない。パーカッションで参加してくれた石川君曰く、「ハワイアン・ボッサですね!」と明るく理解してくれた(笑)。ハワイアン・ボッサなるものが存在するのかどうか知らないが、その通りである。第一、ウクレレが使われている。カヴァキーニョですらない。しかも歌は抑揚たっぷり、いわば「ボサノヴァ歌謡」。が、それゆえ今回のアルバムに入れたとも言える。他の情緒たっぷりの歌謡たちと同居できたのだ。
それともう一つ、この曲に関して作者である私自身がはっきり言えること、そして他人には言わせたくないことは、楽曲そのものとしては決してクオリティの高いものではないということ。すでにご紹介した「波と二人の唄」「メロスの夢」にしろ、これからご紹介する予定の「いつもの土曜日」「恋は捨て身」にしても、同様に曲のクオリティはさほど高くない。思い出してみれば、だからこそ、それらの曲たちは、旧作アルバム「風」(95年発表)のための選曲に「落選」したのであった。そう、今回のアルバムにこれらの曲が入るならば、「アルバムタイトルは『落穂拾いだ!』」と冗談半分に言っていたくらい、ボツ作品の集まりなのである。しかしながら、今の臼田道成が、この声で、この表現力で歌うと、楽曲そのもののクオリティを超えることができることも、わかったのであった。
良き作品、というか、良き「原作」には、それ自体で美しい完成品として成立してしまうものと、それ自体としては未完成で、演者の協力を得て初めて完成するものとの二種類があると思う。思うに、これら「落穂拾い」組は後者に属するのだろうな。
作曲作詞した27歳の臼田道成は、52歳の演者臼田道成の到来を待っていたのかも、しれない。いやはや、気の長い話だ。今の僕に77歳の演者臼田道成を待つことができるか...? 無理だろうね(笑)。

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7.保谷

全13曲なので、これがアルバムのど真ん中。この曲は、あまりに異色なので、ボーナストラックにするか、などと考えていたものだ。しかし、アルバムはきっちり「世界中を青い空が」で終わらせたい。さて・・と思ったが、ど真ん中は、結構良いポジションだったと思う。
「異色」と書いた。何が異色であるか。まず、今回のアルバムでこの曲だけが共作であること。いや、共作、などと、畏れ多い。「戦後最大の詩人」と言われる田村隆一氏の詩に、勝手にこの僕が曲を付しただけのことだ。あれは1998年8月の末。作曲に行き詰っていた臼田は、たまたまピアノの上に置いていた田村隆一詩集をパラパラとめくり、たまたま目に留まった「保谷」という詩を眺めるうち、あっという間に曲が付いてしまったのだ。意図した出来事ではない。つまり「事件」だ。そして、翌日の夜、医学部時代の先輩から電話があり、「臼田、田村隆一が亡くなったぞ!」との訃報を受けた。しばし呆然とする。昨日、大詩人の小さな詩に曲を付したばかりなのに・・。田村隆一氏、1998年8月26日逝去、とある。ならば、曲が生まれたのは、8月25日であったのか、または26日、亡くなった当日であったのか、もはや記憶は定かではない。
この夏、8月26日に川口のリリア音楽ホールで行われた僕のコンサート、「イパネマの娘」というタイトルのボサノヴァ・コンサートではあったが、アンコールで、この「保谷」を歌わせていただいた。ボサノヴァではない、が、誰がなんと言おうと、歌うつもりでいた。ちょうど19年前のこの日に亡くなられた、「保谷」の詩人に敬意を表さねばならないと思った。
今回、このアルバムに収めるにあたり、著作権者様、つまりご遺族から許可をいただくことができた。なんとありがたいことであろう。詩と酒を心から愛し、そして詩と酒の神からも愛された我がアイドルであり、大詩人である田村隆一の言葉を、僕の声で皆さんに伝えることができるなんて。そして、この詩の最後にある、決意の数行は、田村さんの決意であったと同時に、我々、創造を仕事とする者たちへの、田村さんの激励であり、我々が旨とすべき指針であるはずだ。「保谷」は僕の座右の歌であり続けるだろう。誰がなんと言おうと。

ぼくは悲惨をめざして労働するのだ
根深い心の悲惨が大地に根をおろし
淋しい裏庭の
あのケヤキの巨木に育つまで

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8.いつもの土曜日

一聴しておわかりのようにワルツである。臼田道成はワルツが好きなのである。というか、何か作曲しようとすると、自然にワルツになってしまうようだ。なにせ、高校生の頃ピアノで初めて作った曲がワルツだし、初めて作詞作曲した「その夢にかえて」(アルバム「風」所収)もワルツ。30歳の頃、 なんと夢の中で作った曲も、ワルツだった(浴衣姿の松坂慶子が小川の岸辺にしゃがんで物憂げに川面を見つめている。こちらに背を向けているので顔は見えていないが、僕にはそれが松坂慶子だとわかっている、そんな夢)。そうそう、すでにご紹介したアルバム5曲め「夢そのままで」も三拍子。
さて、自然にワルツになってしまう、と言いながら、実はこの「いつもの土曜日」には、あるお手本があった。リオを賛美する名歌"Valsa de uma cidade"(ある街のワルツ)である。カエターノ・ヴェローゾの歌でこの曲を知り、なんて美しい曲だろう、こんな曲が書けたらなあと思っていたら、この曲「いつもの土曜日」ができたのだ。作曲の種明かしをする作曲家も珍しい(笑)。いいんだ、別に。お手本があろうと、これは、断じて盗作なんかではない、明らかに僕の作品なのだから。しかも歌詞は、街を賛美する歌でなく、妻への感謝の歌。これもお手本、いや、モデルとなるご夫婦があった。誰とは言わないが、この曲が喚起するイメージにぴったりのご夫婦だった(と勝手に感じた)。
創造は、模倣から始まるとは真実で、しかし、お手本なりモデルへの「感動」が根本にあるならば、その模倣は必ずや良き創造につながる、と僕は信じる。

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9.長い夜のどこかで

このアルバム13曲の中で、曲の体格から言って「嘆きの星」「世界中を青い空が」と並んで「重量級」トリオの一角。 これを作曲した直後、「お、これはスメタナの『モルダウ』ではないか!」と驚いた。確かに冒頭の2小節はモルダウにちょっと似ている。
そして、歌詞はというと、その頃映画館で観たジム・ジャームッシュ監督の"Night on earth"(邦題「ナイト・オン・ザ・プラネット」)にインスピレーションを得て書いたものだった。同じ時刻に地球上の5都市の片隅で展開する様々な人間模様を描いた映画。この歌の中では「夜の闇(ある若者)」「日照りの大地(民衆)」「青い海(神)」「遠い星(宇宙人)」「この街(私)」「暗い夜空(天使)」と場所と主人公が次々と移り変わる。
思えば、95年発表の旧アルバム「風」は自分、すなわち臼田道成本人の心の物語、経験を歌ったものが殆どだった。タイトル曲「風」然り、「その夢にかえて」然り、「心のアルバム」然り。
が、今回のアルバムでは、歌手臼田は、より「語り部」となっている。
そうだ、思い出した。その昔、ある作詞家(松任谷由実さんのお弟子さんとか)に、こうアドバイスされたことがあった。「臼田君の歌を聴くと、聴き手の女の子たちは臼田君本人のことを考えてしまう。彼女たちの彼氏を思い浮かべるような歌詞にしなきゃいけない」とのたもうた。「てやんでぇ、聴き手が俺のこと考えて、どこが悪いんだ!」と若い臼田は腹の中で断固抵抗したものだ(笑)。
さて、どうだ、時を経て、臼田は自分のことを語らなくても自己を表現できるようになりましたとさ。
人間、焦ってはいけない。人にはそれぞれの、成長の速度、過程があるのだから。「臼田君はこうしなくちゃ、いけない」なんて言っちゃいけない(笑)。

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10.恋は捨て身

この曲は、コメディである。が、同時に実話である。つまり、我が青春が、どれだけ喜劇的な悲劇であったかということである。「捨て身の恋」がもたらす結果は、たいてい悲劇的なものであるから。しかし、遠い青春の悲劇はもはや、今となっては明るい喜劇である場合が多い。20代の僕が、悩みの日々の中、よくぞこんな喜劇的作品を書いたものだ。褒めてやりたい。
さて、この曲については書きたいことが山ほどある。が、いくつか記すと・・。
講談、という芸能がある。落語でも漫談でもない。ハリセンで、卓をバチン!と叩きながら、話をどんどん進行させてゆく、あれである。僕は、この曲を完成させた当初から「これは講談ボレロだ」と思っていた。もちろん、そんなジャンルはない。しかし、この語りの味わいとリズム感は講談だろう。きっとそうだ。そして、これは録音に参加してくれたパーカッションの石川君が放った面白い感想。「アルゼンチンで出稼ぎしてるメキシコ人ミュージシャン!」(笑)。これも、当たり!中間部で出てくるタンゴは、ボレロ演奏家が、ちょっとだけよ、とやって見せたタンゴか。
また、もう一人、このアルバムに参加してくれたパーカッショニスト渡辺亮さんは、「サボテン・ブラザースですね!」と。なんだ? いや、さすが映画好きの亮さん。ご明察。観てみると、ウエスタン調の傑作喜劇でした。 講談〜メキシコ〜アルゼンチン〜ウエスタン・・、そして?
最初に「実話」と書いた。いまだに、この歌を歌いながら、一番の「紺のドレス〜♫」というところで、一瞬息苦しくなる。なぜ、紺でなければならないのか。二音節なら、「白のドレス」「赤のドレス」etcいくらでもオプションはあったはずだ。そう、実話なので、紺だったものは、紺でなければならないのだ。苦しい。遠い青春の悲劇は喜劇になると書いたが、ここを通過するときだけ、臼田の心は疼く。紺ねえ。そうだったねえ。さらば青春。でも忘れない。忘れられない。ならば飲もう。なに、青春だけじゃない、恋は捨て身、さ。五十過ぎても、いつまでも。

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11.ルドンの蝶

アルバム中で唯一歌詞のない曲。いや、歌詞をつけようかと思ったこともあるのだが、つけない方が良い、いや、つけようがない、という結論に達した「不思議系」の曲。不思議なものを僕の拙い言葉で定義することを避けた、とも言える。その不思議世界を、池田雅明君のピアノと、渡辺亮さんのパーカッションがみごとに演出してくれた。
「ルドン」はあの、目玉や、奇妙な生き物や、花を描きながら、不思議な幻想世界をモノクロームで、または氾濫するような色彩で表現した画家オディロン・ルドンのことである。曲ができあがったとき、これはまさしくルドンの世界だな、と思ったものだが、あらためてルドンの画集を見直してみると、意外なことに蝶はあまり舞っていなかった。あれれ。でも、まあよい。ルドンが蝶を描いたら、こんなだろうというような、怪しい蝶だ。もうほとんど「蛾」なのかもしれない(笑)。池田雅明君は、ボサノヴァアレンジの間奏のピアノで、そんな蝶の怪しい「舞い」を表現してくれた。まるで粉が降ってくるようではないか。そして、そのバックでは鳥の声やら、怪しい虫の羽ばたきなどを、笛やビリンバウなどを駆使して「音の絵描き」である渡辺亮さんが現出してくれた(スタジオの録音ブースで怪しい動きをしながら、不思議音世界を奏する亮さんそのものがルドン絵画の一部のような気さえしたものだ)。
僕は歌手だが、楽器奏者はいいな、と羨ましく思うことが多い。言葉のない音楽は絵画に通じるけれど、言葉のある音楽は半ば文学に属してしまう。それが、鬱陶しいと思わぬこともない。
全13曲を続けてお聴きになるリスナーの方が、10曲も続けて「文学」に付き合わされたら、この辺りで言葉から解放されたいと思われるのではないだろうか。「ルドンの蝶」にこのアルバムの中でそんな役割を担ってもらおうと思ったのも事実。
ああ、しかし「ルドンの蝶」というタイトルがすでに文学的なのかもしれないな。やはり解放は無理か(笑)。ラララでも、臼田が歌えば、それはもうほとんど言葉だ。仕方ない、お付き合いいただきましょう。臼田道成短編集より「ルドンの蝶」。

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12.春のおとずれ

「忘れずに〜キスをする〜〜♫」こんな歌を臼田が作り、恥ずかしげもなく人前で歌うようになるとは…。二十代の私を知る人なら、きっとそんな感慨を持つ違いない。
思えば固い男であった。唯一、酒を飲んでいる時だけ柔らかかった(笑)。否、固かったからこそ、その緊張に耐えられず、酒を求めたのであろう(今も酒は飲むが、これは酒への愛である。なんつって)。
二十代半ばの頃、友人であり音楽上の相棒でもあったアレンジャー亀田誠治から詞のことで、「臼田、恥ずかしがっちゃダメだ。ストレートに書かなきゃ」みたいな苦言を呈されたことがあったっけ。何か言って反駁したと思うが、内心その通りだと思いながら、しかし、相変わらず固い詞を書く固い男であり続けた。
いつ頃から軟化したものか。表現が柔らかく、または弱くなるということは、決して人間として柔弱になるということではないという確信というか、自信を得たあたりで徐々に変化していったものであろう。
三十代、こうして作品は柔らかくなり、この「春のおとずれ」も生まれたわけだが、しかし、「たたずまい」は相変わらず固い男であり続けた。例えば、決してTシャツにジーンズといった姿で人前に出ることはなかった。 決定的な変化はブラジルでの5年間に起こった。DNAに変異を生じたとしか思えない。柔弱、ではなく弛緩である。たたずまいがゆるい、ということは、人間そのものがルーズであるということではない。むしろ、その逆で、ゆるいからこそ、いざという時に、その持てる力を存分に発揮できるのだ。臼田はそれをリオで身につけた。気がつけば、半ズボンにビーサン、無精髭で巷を徘徊する男になっていた。
というわけで、アルバム12曲めの「春のおとずれ」、軟化しつつあった臼田が作曲し、DNA変異後の臼田が歌った録音である。二十代の旧作「風」と聴き比べると、人間の変遷が見えて面白いかも知れない。ご検証あれ。

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13.世界中を青い空が

僕はこの一曲に陽の目を見せてあげたいがためにこのアルバム制作を思い立ったといっても過言ではない。この曲を作ってから20年以上、様々な場所でこの曲を歌って来たが、実に多くのお客様から、賞賛をいただいてきた。やがて、これはなんとかして形にしてあげなければいけない、と思うに至ったのである。
この曲の成り立ちを少し話してみよう。あれは95年、あのオウム真理教によるサリン事件が起きて半年ほど経った頃だろうか。例によって、ない才能を振り絞りながらピアノの前で作曲を試みていた或る深夜、突如「世界中を黒い雲が、おおうその日が来ても〜♫」と詞と曲が一体となって口からほとばしるように出て来たのである、その刹那、両目からは涙がとめどもなく溢れ、曲は最後まで淀みなく流れるようにして、その晩のうちに完成したと記憶している。 待てよ。この曲のタイトルと、願いは世界中を「青い空」が、である。しかし実際には、ほとばしって出て来た言葉は「黒い雲」だったのだ。そう、作曲した僕の心には、あの忌まわしいサリン事件のイメージが確かにあったのだ。 サリンは多くの人を殺傷したが、あの頃はまだ、まさか現在の世界のように絶望的なまでに「世界を黒い雲が覆う」というほどの危機感はなかったと思う(少なくとも僕のような無知の人間にとっては)。が、この曲が、まことに残念なことながら、現在を予言していたと言えないこともない。
医者は、病人がいなければ、成り立たない仕事だ。病人がこの世からいなくなれば、廃業しかない。しかし、病める人、痛みに苦しむ人がこの世からいなくなることは、望ましいことなのだ。それと同じく、「世界中を青い空が包むその日」には、この歌を歌う必要はなくなるだろう。僕はそれでいいと思っている。たいへん美しい歌だが、僕は世界中を青い空が包むその日が来て、この歌に別れを告げる日が来ることを、心から望んでいる。









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