新・一枚のブラジル音楽〜臼田道成




“La vita, amico, è l’arte dell’incontro“
「友よ、人生は出会いの芸術だ」
Vinícius de Moraes, Guiseppe Ungaretti, Sergio Endrigo
ヴィニシウス・ジ・モラエス、ジュゼッペ・ウンガレッティ、セルジオ・エンドリーゴ



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僕にとって2003年から2008年までの5年間に渡るリオ滞在は、本当に重要なものだった。あの5年の修行がなければ、今の音楽家臼田道成はいないと断言できる。では、その貴重な修行中に出会った、もっとも美しい曲は何であったか。実を言うと、残念ながら、というべきか、ブラジル音楽ではなかったのである。“Io che amo solo te”「あなただけを愛する私」。イタリアン・ポップス、つまりカンツォーネである。シンガー・ソングライター、セルジオ・エンドリーゴの自作自演による60年代の古い録音が、僕を魅了した。甘く、憂いを含んで、それでいて力強い彼の声と、一筆書きのような、シンプルでありながら、ドラマティックかつロマンティックな旋律。そして「僕に残された青春のすべてを君に捧ぐ」というストレートな愛のメッセージ。たまたま、サンパウロのレコード店で見つけたオムニバスのイタリアン・ポップス集に収められていた。ブラジルにはイタリア系移民も多いから、こんな企画もののCDもあるんだなと思っていた。しかしまさか、このセルジオ・エンドリーゴが、あのボサノヴァの大詩人ヴィニシウス・ジ・モラエスと共同でアルバムを作っていたなんて、思いもよらなかった。

このアルバムは、ヴィニシウスの歌と詩の作品をイタリア語で録音したもの(いくつかはポルトガル語のままだが)。“ La vita, amico, è l’arte dell’incontro”というタイトルは、アルバムのオープニングとエンディングに2バージョン収録された、ヴィニシウスとバーデン・パウエルの名作“Samba da bênção”「祝福のサンバ」の歌詞から取られたものだが、このアルバムじたい、ヴィニシウス、エンドリーゴ、ウンガレッティ(イタリアの大詩人)、三人の演者による「出会いの芸術」であると言えよう。ヴィニシウスのポルトガル語とイタリア語による歌と朗読、エンドリーゴのヒューマンで美しい歌唱、齢八十を越えたウンガレッティの渋い朗読が交互に組まれていて、聴くものを飽きさせない。まるで三者が横に並んで、かわるがわるスポットを浴びながら演じる舞台でも見ているようだ。

しかし、このアルバムにおける「出会い」は単にこの三者が共同で作品を作ったということにはとどまらない。僕は、このアルバムをとりわけ魅力的にしているのは次の三つの出会いだと思う。
まず、ポルトガル語との密接な関わりの中で生まれたブラジル音楽と、イタリア語との「言語の出会い」。次に「あなただけを愛する私」と歌うエンドリーゴと、「あなたを愛してしまう(Eu sei que vou te amar)」と歌うヴィニシウスの、「愛の芸術家の出会い」。そしてブラジルの大詩人ヴィニシウスと、イタリアの大詩人の「文学の出会い」。これだけでも盛りだくさんのところに、あのJ.S.バッハの名曲「主よ、人の望みの喜びよ」(ヴィニシウスが歌詞を付した)が入ることで、このアルバムの世界は、一気になにか人類的な広がりを持ってしまうのだが、決して散漫な印象を感じさせないのは、徹頭徹尾、ヴィニシウス作品のみを扱っているからであろう。

そこで思うのだが、このヴィニシウスという人、出会いの中で人を活かすことが実に上手な人だったような気がする。ジョビン、カルロス・リラ、エドゥ・ロボ、バーデン・パウエル、トッキーニョなど、次々若い無名作曲家と出会い、共作するうち、知らず彼らをブラジルを代表する偉大な音楽家へと成長させてしまったのであるから。そして自分はといえば、酒を愛し、女を愛し、詩を、音楽を愛し、世界中の人々との出会いを楽しみながら、人生を絶えず謳歌していただけなのではないか。このアルバムでもギターを弾いているトッキーニョが、ヴィニシウスの死後語っているところによれば、彼らは一度も「仕事だと思って」創作や演奏をしたことがなかったそうである。優れた才能を持った人を見抜き、近づき、心のおもむくままに共作を申し込み、意図せず名作を生み出し、意図せずパートナーを偉大な芸術家に育て上げる。これは、天性のプロデューサーとでも呼ぶ他なかろう。
蓋し、ヴィニシウスがブラジル音楽史上に残した最大の功績は、「イパネマの娘」や「ビリンバウ」などの名作を残したことではなく、多くの芸術家が、ヴィニシウスと言う人間の中を通って偉大な存在に変身し、そしてブラジル音楽の発展に寄与していったこと、そのことにこそあるのではないか。しかし、何人もの作曲家が、彼の中を通り抜けて行っても、彼ヴィニシウスは変わらない。びくともしないのだ。どんなにか大きな人であったろう。

このアルバムを聴いていると、正直な話、僕はエンドリーゴの美しい歌唱に一番魅かれるのだ。ヴィニシウスの歌ははっきり入って、調子っぱずれ。朗読も、イタリア語で何を言っているのかわからないけれど、ウンガレッティのほうが、よほど「演技力」があって、感動的だ。だがしかし、だまされてはいけない。ここに聴かれるエンドリーゴの歌唱も、ウンガレッティの朗読も、大きな大きなヴィニシウスという人間の中を通って出てきた演唱であり、朗読だからこそ、こんなに僕らの心を打つのだから。人間の存在というのは、僕らに見えているその人の体や、聞こえている声だけに在るのではない。見えていないところにこそ、その人間のだいじな存在は、在るのだ。見えているヴィニシウスは、大酒飲みで、ろれつが少しあやしくて、ちっとも締まらないけれど、この素晴らしいアルバムの音のどんな細部にも、この飲んだくれの詩人の魔法がかかっている、と言ったら、綺麗すぎるかな。

註:
セルジオ・エンドリーゴは、“Rei”ロベルト・カルロスとも交流があった。ロベルト・カルロスはエンドリーゴ作の“Canzone per te”を1968年、あのサンレモ音楽祭で歌っている。

(PINDORAMA 2012年3月号より転載)

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